レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年03月10日
- 登録日時
- 2011/03/24 15:46
- 更新日時
- 2013/07/26 16:56
- 管理番号
- 茨歴歴2010045
- 質問
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解決
水戸黄門は7人いたのか。
- 回答
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「中納言」の唐名を「黄門」といい,水戸藩で「中納言」になった藩主は「水戸黄門」とも称されます。
水戸藩主11人のうち,初代頼房,2代光圀,3代綱條,6代治保,8代斉脩,9代斉昭,10代慶篤の7人が「(権)中納言」になっているため,「水戸黄門」と称されました。詳細は参考資料でご確認ください。
- 回答プロセス
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徳川光圀に関する図書から説明のあるものを探す。
参考資料(1)pp.63-65,(2)p.68,(5)pp.13-17に,「7人の水戸黄門」について説明あり。
参考資料(3)所収の「常陸水戸徳川家譜」(東大史料編纂所蔵)で水戸徳川家の「(権)中納言」を確認。
参考資料(4) pp.125-126「水戸徳川家歴代一覧」では各藩主ごとの権中納言を叙任した日を一覧で確認できる。
- 事前調査事項
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偕楽園を紹介するニュースの中で,「水戸黄門は7人いた」と放送していた。
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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- (1) 水戸光圀の『梅里先生碑』(水戸の碑文シリーズ3) 宮田正彦著 水戸史学会 2004 〈当館請求記号 K289/358〉
- (2) 徳川光圀-「黄門さま」で名高い水戸藩主(日本史リブレット人048) 鈴木暎一著 山川出版社 2010 〈当館請求記号K289/405〉
- (3) 茨城県史料 近世政治編1 茨城県史編さん近世史第1部会編 茨城県 1970 〈当館請求記号 K210.08/9/5-1〉
- (4) 頼重と光圀-高松と水戸を結ぶ兄弟の絆-(特別展図録) 茨城県立歴史館編集・発行 2011 〈当館請求記号K069.9/2/010-2〉
- (5) 歴史をリードした人々-光圀・斉昭そして幕末・維新の水戸と慶喜 瀬谷義彦著 ふじ工房 2000
- キーワード
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- 水戸藩
- 水戸徳川家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000083152