レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/11/17
- 登録日時
- 2010/12/13 02:00
- 更新日時
- 2020/03/18 14:59
- 管理番号
- 京資-160
- 質問
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解決
保津川の鉄橋は昭和3~5年頃に名古屋市に移設され、「向野橋(こうやばし)」の名称で現在も使用されている。当時の保津川鉄橋の絵葉書か写真をみたい。
- 回答
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当館歴史資料課所蔵の「黒川翠山撮影写真資料」のNo.1316とNo.1317に当時の写真があった。
- 回答プロセス
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『近畿の名蹟 8』(京都 保津川流域の巻)のp.111に似たような写真が掲載されている。
『橋』の第95回に保津川鉄橋の写真が掲載されているが、架け替え後のものだった。
『亀岡鉄道物語』のp29によると、1922(大正11)年4月3日、保津川鉄橋で脱線転覆事故があり、JR嵯峨野山陰線の生みの親である田中源太郎が、この事故で死亡したと記載されている。
また、『京都関係絵はがき』には探している橋はなかった。
当館歴史資料課では、明治末期から昭和初期に活躍した写真家の黒川翠山が撮影した写真の一部を所蔵している。「黒川翠山撮影写真資料」を調べたところ、No.1316とNo.1317に橋の写真があった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 参考資料
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- 『近畿の名蹟 8』(京都 保津川流域の巻) 辰馬六郎著 金剛社 1929 153p (当館請求記号K0/291.62/Ta95/8)
- 『橋』 京都新聞社編刊 1962 1冊(スクラップ) (当館請求記号K/515.02/Ky6)
- 『亀岡鉄道物語』 亀岡市編刊 1999 36p (当館請求記号K32-1/686.21/KA35)
- 『京都関係絵はがき』 89枚 (当館請求記号K0/291.62/Ky6)
- キーワード
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- 保津川
- 鉄橋
- 向野橋
- 田中源太郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000075092