レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2010/09/26 15:31
- 更新日時
- 2012/12/22 15:41
- 管理番号
- 門司一般14
- 質問
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「豊前の神様と山口の神様がけんかをして、どちらかが放った矢が大積にある岩に当たって穴があいた」
という伝説について知りたいのですが資料を紹介して下さい
- 回答
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神様同士が喧嘩して、片方の射た矢で岩に穴が開いたという伝説は北九州市門司区大積(おおつみ)に伝わる鏑(かぶら)島(じま)の民話だと思われます。
『北九州の民話 第2集』に収められている「神さまの恋」によると大積の「蕪島」の神と苅田(かんだ)沖の「神島(こうのしま)」の神が「津村(つむら)明神(みょうじん)」という姫神をめぐって争い、「神島」の神の放った矢が「蕪島」の真ん中を射抜いて穴が開いたというお話があります。
鏑島の穴についてはもう一つ別の伝説があります。『門司郷土叢書 第四巻』の「鏑島の伝説」には、百合(ゆり)若(わかの)大臣(おとど)という強弓の射手が、仏に祈願して放った鏑矢が射抜いた島の名前が「鏑島」になったというお話があります。
また『門司の伝説ものがたり』にも両方のお話が掲載されていて、百合若大臣の話には放った鏑矢の図と説明があります。鏑とは、大根の一種で蕪という根が丸っこい形をしたものに似せて木や竹の根で作ったものとあります。
「かぶらじま」の表記は資料によりますが「鏑島」「蕪島」両方ともあります。
- 回答プロセス
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大積地方の事が記載されている郷土資料と昔話にあるかもしれないので、まず『門司郷土叢書 第四巻』の「大積村志」を調べてみると、
「鏑島の伝説 上・下」がありました。
(上)には大昔、今津沖の津村島をめぐって争ったとあり、その時に神ノ島の神が放った矢が鏑島の左袖を射切ったとあり、
(下)には鏑島の洞穴は、百合若大臣(ゆりわかのおとど)の強弓に射抜かれた遺跡と書かれています。
日本一の強弓になろうと豊後六郷満山の双子岳に祈願し、満願の朝山頂に上り北方穴戸を望んで放った矢が
豊前恒見沖の宮中で羽を失ったが、勢いで鏑島の一角を射抜いたとあります。
また、百合若大臣は内容はまったく違いますが劇作や歌舞伎の作品にもなっているようです。
『北九州むかしばなし 第二集』の一話「神様の恋」を見ると
「津村明神」を妻にしたいという「蕪島」(この資料は「かぶらじま」を蕪島と書かれています)の男神と苅田町沖の「神島」の争いが分かりやすく記載されており、神島の男神が弓の名手で放った弓が蕪島の真ん中を射抜いたと書かれています。
『北九州の民話』と『北九州の観光案内』のホームページでも「神さまの恋」が記載されてましたがほぼ似たような内容でした。
また『門司の伝説ものがたり』には「島の神々の結婚騒動」と「蕪(鏑)島の名」の両方の話があります。
読みやすく仮名がふられています。
「結婚騒動」は神ノ島の神が二矢放ちひとつは蕪の神を射抜き、勢い余って遠くの岩山に飛びそこに大きな洞穴をつくり
もうひとつの矢は蕪の神の左を射抜いたため大積の土地から切り離されて島の形にされたとあり、
「蕪(鏑)島の名」は鏑矢で射込まれた島というので蕪島という名が付いたと書かれていました。
鏑矢とは大根の一種で根が丸っこい形をしたものに似せて木や竹の根で作ったものとあります。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『門司郷土叢書 第4巻』 門司郷土叢書刊行会編 国書刊行会 1981年<K080/モ/4> (61~63頁、354~359頁)
- 『北九州むかしばなし 第2集』 北九州市企画局企画課編 北九州市企画局企画課 1989年<K338.112/キ/2>(4~5頁)
- 『門司の伝説ものがたり』 田郷利雄著 あらき書店 1993年 <K388.112/タ>(23~36頁、65~71頁)
- 『北九州の民話 第2集』 大隈岩雄著 小倉郷土会 1984年 <388.110/オ>(63~65頁)
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ホームページ『北九州の観光案内』 (北九州の民話で「神さまの恋」記載)
http://www.city.kitakyushu.jp/page/kankou/minwa/index.html
(アクセス日 2011年1月9日) - 『門司郷土叢書 第8巻』 門司郷土叢書刊行会編 国書刊行会 1981年<K080/モ/8> (628頁)
- 『門司郷土叢書 第9巻』 門司郷土叢書刊行会編 国書刊行会 1981年<K080/モ/9> (283~287頁、290~295頁)
- キーワード
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- 昔話
- 蕪島 北九州市
- 門司
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000071749