レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2009/09/25 15:54
- 更新日時
- 2018/09/24 15:47
- 管理番号
- 北九-2006-90
- 質問
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明治時代の小倉にあった蓮門教の資料は、ありますか?小説にもなっていると聞きましたが。
- 回答
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蓮門教は明治初期に小倉で発祥した教団で、最盛期にはおよそ100万人の信徒がいたともいわれています。小倉の堺町に大教会を建立し、東京にも豪壮な教堂を建て、華族・高官の支持を得ていました。教祖は島村ミツ(1832~1904)という山口生まれの主婦です。大病を機に日蓮宗の柳田素人の門人となり、明治10年に神道蓮門教を設立。明治16年、小倉の古船場に道場を開き教祖となりました。
尾崎紅葉たちに淫祀邪教と非難されて、衰微をたどり始めました。教典がなく、後継者に人を得ることが出来ず、ミツの没後に教団は壊滅。
この本部で育った島村欣吾は小説「神と人の座」「九州文学」に10回連載しています。劉寒吉は小説「神と人の記録」を書きました。
追記(平成30年9月24日)
参考資料に追加資料を記載しました。また参考資料に記載している「『「萬朝報」の蓮門教記事』の明治21年~明治27年」について明治21年以降を修正しました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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『蓮門教衰亡史』 奥武則著 現代企画室 1988年
『研究紀要 2』北九州市歴史博物館編発行 1994年(蓮門教とその教義21~26頁)
『福岡県百科事典』下 西日本新聞社福岡県百科事典刊行本部編発行 1982年(1100頁) -
『小倉藩史余滴』 米津三郎著 海鳥社 1995年
『九州文学』 昭和16年1月第28冊 劉寒吉著・昭和35年10月第187号~203号 島村欣吾著 九州文学社
『「萬朝報」の蓮門教記事』明治27年2月22日~明治27年11月21日 - 米津三郎. 連門教の興亡 明治宗教史上の”白昼夢”. ひろば北九州 ’81第2号(通算15号) p. 22P~26P (当館請求記号 K179/レ, 当館資料番号 0011190097)
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『蓮門教衰亡史』 奥武則著 現代企画室 1988年
- キーワード
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- 蓮門教
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000058307