レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年9月26日
- 登録日時
- 2007/11/19 02:11
- 更新日時
- 2008/08/31 13:24
- 管理番号
- OSPR07100022
- 質問
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家の裏紋が五三桐で、平知盛(1152-1185)が最初に使ったという記述を何十年も前にどこかで読んだことがある。由来を知りたい。図書館などで長年調べているのだがみつからない。
- 回答
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1.『日本紋章学』「桐」の章あり。「桐を家紋として用いたことが史籍に著われるのは、『蒙古襲来絵巻』からである。同書に肥後天草の豪族大矢野十郎種保が旗にこの紋章を付けているのが見られる。」
2.『日本家紋総鑑』同上の主旨の記載あり。
なお、家紋から使用家を確認できる、この種の資料は、紋の名称、または図が必要となる(例えば五三桐と分類される紋は34種記載されている)
他に、家紋の由来に関する本を何点か確認したが、上記以上に詳しい記述や異説はみつからなかった。
平知盛の生没は1152-1185年、蒙古襲来絵巻の成立は1293年(以上二点『国史大辞典』で確認)であるため、平知盛が家紋として桐の文様を使ったという説は、現在のところ成立しないようだ。
3.『旗指物』「長旗の形式が一番古く、源氏の白旗・平家の赤旗等は『平家物語』等で有名であるが(中略)この長旗に図や紋を描くようになったのは鎌倉時代頃からで」とあり、『源平盛衰記』『吾妻鏡』『蒙古襲来絵詞』があげられているが知盛、桐の記述はなし
なお、巻末に人別旗指物事典があるが、戦国時代以降が主。
4.『武家の家紋と旗印』知盛の記述はなし。「武家家紋の桐は多くが後醍醐下賜によるもの」とあり。
5.『日本人の心がみえる家紋』「『源平盛衰記』をよむと、旗印は赤旗と白旗だけだが、馬具、弓矢の道具にも家紋になる文様が使われていた。」
以上3~5のように、平知盛が旗印として桐の文様を使ったという記述もみつからなかった。ただし、旗印に関しては研究資料が少ないため、正確には原典を確認する必要があるかもしれない。
また、「桐の文様は、藤原時代から鎌倉時代にわたって流行したものであり」「絵巻物などを見ても、この文様を描いたものが少なくない」(資料1.)とあるように、知盛が桐の文様を家紋・旗印としてではなく使用していたという可能性は残るが、そういった記述のある資料はみつからなかった。
その他参考にした研究資料は参考資料に挙げた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 8版)
- 参考資料
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- 『日本紋章学』(沼田頼輔/著 人物往来社 1968)(ページ:357-393) (資料番号:1511501171,請求記号:353/63/#)
- 『日本家紋総鑑』(千鹿野茂/著 角川書店 1993.3)(ページ:364-371) (資料番号:1112180607,請求記号:288.6/7N)
- 『旗指物 増補版』(高橋賢一/著 新人物往来社 1996.1)(ページ:334) (資料番号:1410000135,請求記号:288.9/10N)
- 『武家の家紋と旗印』(高橋賢一/著 秋田書店 1976)(ページ:21-43) (資料番号:1511503805,請求記号:353/361)
- 『日本人の心がみえる家紋』(楠戸義昭/著 毎日新聞社 2002.12)(ページ:18) (資料番号:1114589037,請求記号:288.6/36N)
- 『桓武平氏国香流系図 第2巻 平清盛流・織田流氏族篇』(千葉琢穂/著 展望社 1986.10)(ページ:76-111) (資料番号:1511688408,請求記号:353/803/(2)#)
- 『古事類苑 [40] 姓名部』(神宮司庁)(ページ:501-582) (資料番号:1612305365,請求記号:031/K2)
- 『系図文献資料総覧 増補改訂』(丸山浩一/編 緑蔭書房 1992.5)(ページ:) (資料番号:1112131550,請求記号:288.2/7N)
- 『菊と桐:高貴なる紋章の世界』(額田巌/著 東京美術 1996.11)(ページ:63-144) (資料番号:1113233561,請求記号:288.6/21N/(2))
- キーワード
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- 家紋
- 五三桐
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000039546