レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/11/19
- 登録日時
- 2023/01/25 00:30
- 更新日時
- 2023/01/25 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-220158
- 質問
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解決
中宮寺(奈良県)と,広隆寺(京都府)の半跏思惟像の制作年代・制作者などに関する資料を探している。
- 回答
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下記の資料を紹介した。
なお,制作時期は飛鳥時代(7世紀)であり,制作者を掲載している資料はなかった。
また,制作についてはいくつかの論点が存在し,一定の結論を得ている記述は見当たらなかった。
※【 】内は当館請求記号
資料1 毎日新聞社「国宝」委員会事務局編集『国宝 1』毎日新聞社, 1977【709.2/マ1-2/1タ】
広隆寺「弥勒菩薩半跏像」(図版38),中宮寺「菩薩半跏像」(図版39)掲載あり。
解説(pp.150-151)には,いずれの像についても「飛鳥時代(7世紀)」と記載あり。
広隆寺「弥勒菩薩半跏像」に関して,「(前略)この像については,貞観十五年(八七三)の『広隆寺資材交代実録帳』に「金色彌勒菩薩像一? 居高二尺八寸 所謂太子本願御形」と録されており,推古十一年(六〇三)秦河勝が聖徳太子のために建てた峰岡寺(広隆寺)の当初の本尊とされている。」との記述あり。
資料2 小川光三写真『魅惑の仏像 4』毎日新聞社, 1986【718/ミワ1986.7/4タ】
広隆寺の「弥勒菩薩像」について,下記のとおり記述あり。
西川杏太郎「思索するほとけ,弥勒菩薩」(pp.40-45)に,制作年代・制作地について記述あり。
(pp.40-41)「広隆寺と二つの弥勒菩薩」の項
「(前略)『日本書紀』六〇三年(推古天皇十一年)十一月の記事によると,聖徳太子が重臣たちに,自分は尊い像を持っているが,だれかこの像を信仰する者はいないかと尋ねたところ,重臣の一人である秦河勝が進み出て,これを頂き,この太秦の地に蜂岡寺つまり広隆寺を造ったことが記されています。また六二三年(推古天皇三一年)に朝鮮半島の新羅と任那から献納された仏像を秦寺に安置したことも記しています。(後略)」
(p.45)「その制作地」の項
「広隆寺は帰化人の子孫によって建てられたこと,そこに新羅から伝えられた仏像が安置されたこと,また韓国にこの弥勒像によく似た金剛像が遺されていること,などから,この像は朝鮮製かもしれないという説が昔からありました。また昭和二十六年ごろ,この像に使われた木材が科学者の手で分析され,それが「赤松」であることが公表されました。日本にも赤松はありますが彫刻用材として使われることはほとんどありません。朝鮮半島では近世まで建築や彫刻に赤松がよく使われているので,この像は朝鮮で造られた可能性が強いというのです。(後略)」
同資料所収の小川光三「美の弥勒菩薩像」(pp.50-53)にも,制作地について記述あり。
(pp.51-52)「風土と造形」の項
「広隆寺の弥勒像について,以前から不審に思って来たのは,その出生地のことです。これについては,昔は日本で造られたものと思われて来たのですが,戦後になって像の材質が赤松であることが判りました。ところがこの像が出来た当時の日本では,樟で仏像を彫るのが普通で他に松を使った例はなく,彫りにくい松材を使用したのは,樟のない朝鮮で造られたためだと考えられるようになったのです。またソウル国立中央博物館には,七世紀に造られた二体の弥勒菩薩像がありますが,うち一体は広隆寺像と瓜二つと言えるほど,よく似た形式をしています。そうしたことも,広隆寺像の朝鮮渡来説を裏付けているのですが,これには簡単に納得出来ないものがあるのです。(後略)」
資料3 『大和の古寺 1』岩波書店, 1982【702.17/ヤ1/1タ】
毛利久「半跏思惟像の系譜」(解説pp.1-14)に,インド・中国・朝鮮・日本の半跏思惟像について考察している記述あり。
また,解説(p.15)に下記の記述あり。
「中宮寺」の項
「(前略)中宮寺の今日に至るまでの沿革については知られることが少ない。現在の本尊の菩薩半跏像は,鎌倉中期以降に本尊であった確証はあるが,それ以前の実情は明らかでない。またその尊名も弥勒・如意輪観音・救世観音などと一定しないのも,由緒ある古寺の本尊としては不審に思われる。」
「菩薩半跏像(本堂)」の項
「(前略)本像の製作時期や様式上の問題については種々の説が出ている。(後略)」
資料4 NHK取材班著『NHK国宝への旅 1』日本放送出版協会, 1986【709.1/ニツ1986.9/1】
西村公朝「弥勒さんの世界」(pp.29-40)に,広隆寺の「弥勒菩薩像」について,彫刻家であり,像の指折れ修復を担当した経験から像の材質や制作に関する考証が記述されている。また,「弥勒菩薩像木取り略図」の掲載あり。
(pp.29-33) 「材質と制作の秘密」の項
「(前略)戦後,小原二郎氏がこれはアカマツ材であり,しかも朝鮮系であるということを発見されました。つまり針葉樹であることがはっきりしたのです。このころ,アカマツを使った例というのはほかには見られません。(後略)」
資料5 NHK取材班著『NHK国宝への旅 17』日本放送出版協会, 1989【709.1/ニツ1986.9/17】
中宮寺の「菩薩半跏像」について,取り上げた章(pp.120-126)あり。また,「中宮寺菩薩半跏像木組構造図」の掲載あり。
(pp.101-130)「半跏思惟像の造形」の項
「(前略)この像の制作に関する文献史料は何もないため,いつ,だれがつくったのかわからない。もっとも中宮寺の創立についても具体的なことははっきりせず,その本尊の記したものもない。(中略)次いでこの像の制作年代であるが,従来この半跏像には飛鳥時代の止利派的な古い要素もあれば,また白鳳的な新しい要素もあるといわれてきた。その結果,制作年代も七世紀の前半から後半まで幅ひろく主張されている。(中略)止利派の流れをくむ仏師が,新しい初唐様式の影響をうけてつくったもので,六五〇年前後の制作ではなかろうか。」
資料6 金子啓明著『仏像のかたちと心』岩波書店, 2012【718.02/カヒ2012.7】
「第一章 白鳳の聖なる思惟― 中宮寺 半跏思惟像―」に広隆寺の像の制作についての考察あり。「技法の特色」p(p5-8)に,用材であるクスノキとマツの植生などから制作地を考察している。
(pp.5-8) 「技法の特色」の項
「(前略)京都・太秦の広隆寺宝冠弥勒像だけは例外で,マツで造られている。(中略)クスノキが生えている地域には特色がある。中国では長江(揚子江)流域から南方,日本でも関東から西が中心で北には少なく,朝鮮半島には生えていない(南の沿岸に若干生えている場所があるともいわれる。)済州島までが植生の範囲である。このことから,広隆寺の宝冠弥勒像は日本製ではなく,朝鮮半島で造られて日本に請来されたのではないかとする説が強い。(中略)広隆寺宝冠弥勒像がマツを使用するのは,仮に日本で制作されたとしても,樹種の選択については渡来した朝鮮系の人々の用材観が及んでいたことは確かであろう。(後略)」
資料7 田村円澄, 黄寿永編『半跏思惟像の研究』吉川弘文館, 1985【718.1/ハン1985.4】
岩崎和子「広隆寺宝冠弥勒に関する二,三の考察」(pp.197-228)に,宝冠弥勒に関する考察がされています。
また,韓国国立中央博物館所蔵の金銅半跏思惟像との比較も行っている。
(pp.224-225)「結語」の項
「(前略)宝冠弥勒は推古三十年に新羅よりもたらされ,広隆寺に安置されたものと考える。(中略)最後に,従来宝冠弥勒がアカマツ製であるという理由で,韓国製とされてきたことについて一言述べておきたい。韓国古代の木彫が遺されていず,日本にもアカマツが自生している現状では,たとえ韓国にクスノキがなくともより彫刻に適す材を選ぶことも可能であり,限られたわが飛鳥木彫仏が全てクスノキ製であるからといって,アカマツ製の彫刻を日本製ではなく韓国製であると断定できない。(中略)日本でも例外的ではあるが,出雲神魂神社の例があり,土台,橋杭には適材として用いられる。従って,マツ製であることは,制作国を判定する材料とするより,宝冠弥勒が何故彫刻に適さないマツ材で造られたかという問題の提起として取扱うべきである。(後略)」
資料8 鵤故郷舎編『中宮寺の諸問題』鵤故郷舎, 1941【188.5/イ1】
廣瀬直彦「中宮寺御本尊の年代に就いて」(pp.42-46)に,制作年に関する考察あり。
(pp.45-46)「中宮寺御本尊の年代に就いて」の項
「(前略)従来此の本尊は飛鳥末期の傑作と称せられて来たもので,それは様式上正に至当であると思われるが,正確な年代は天智天皇頃,或いは強いて言えば天智天皇五年以後数年間の間に出来たものではないかと思われる。故に美術史の年代を直線的に観て区分するものとすれば,寧ろ白鳳時代の作と観て然るべきだと思う。(中略)中宮寺の本尊も白鳳時代に作られた飛鳥様式のものではないかと思う。そして私は矢張り飛鳥時代に入れておきたいと思う。」(引用中の漢字は資料では旧字体です。)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏像 (718 9版)
- 参考資料
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- 毎日新聞社「国宝」委員会事務局/編集. 国宝 1. 毎日新聞社, 1977【709.2/マ1-2/1タ】:
- 小川 光三/写真. 魅惑の仏像 4. 毎日新聞社, 1986.6【718/ミワ1986.7/4タ】:
- . 大和の古寺 1. 岩波書店, 1982.1【702.17/ヤ1/1タ】:
- NHK取材班/著. NHK国宝への旅 1. 日本放送出版協会, 1986.9【709.1/ニツ1986.9/1】:
- NHK取材班/著. NHK国宝への旅 17. 日本放送出版協会, 1989.10【709.1/ニツ1986.9/17】:
- 金子/啓明?著. 仏像のかたちと心. 岩波書店, 2012.7【718.02/カヒ2012.7】:
- 田村 円澄/編 黄 寿永/編. 半跏思惟像の研究. 吉川弘文館, 1985.4【718.1/ハン1985.4】:
- 鵤故郷舎/編. 中宮寺の諸問題. 鵤故郷舎, 1941【188.5/イ1】:
- キーワード
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- 弥勒菩薩半跏思惟像
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000327833