レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/6/16
- 登録日時
- 2022/09/02 00:30
- 更新日時
- 2022/09/02 00:30
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 泉野-503011
- 質問
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解決
【南京玉すだれの口上について】南京玉すだれの口上の中に出てくる「天橋立 浮かぶ白帆にさも似たり」の白帆とはどのような船を指しているか。
- 回答
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○南京玉すだれの口上の成立時期について
まず、南京玉すだれの口上に出てくる「白帆」がいつの時代のものなのかを特定するため、南京玉すだれの口上が掲載されている資料を探した。
利用者からの提供資料(出典不明、2021年4月作成)には「ちょいと反せば、日本三景は天の橋立、浮かぶ白帆(北前船)に、さも似たり」(「北前船」の字幕付きの演技写真が添えられている)という口上が掲載されている。
『大道芸口上集 新版』 久保田尚/著 評伝社 1994年 (119975278) p.186-192に南京玉すだれの口上の全文が掲載されている(出典不明)。該当箇所は「ちょいと返せば、日本三景松島の 沖行く白帆にさも似たり」と記され、天橋立ではなく松島が採用されている。
『図説江戸大道芸事典』(2008年) 宮尾与男/編 柏書房 2008年 (412885730) p.311-314「玉すだれ」に南京玉すだれの口上及びその解説が掲載されている。同書では、「ァさて、ァさて、さて、さて、さて、さて、さては南京玉すだれ」というようになったのは幕末から明治にかけての時期と推測している。また、やなぎ南玉の「江戸の遊芸」(出典未確認)の科白「ちょいと伸ばせば、日本三景は天の橋立浮かぶ白帆に、さも似たり」を収載する。
『江戸の大道芸人』 光田憲雄/著 つくばね舎 2009年 (113027499) p.137-160「南京玉すだれ名称変遷史」及び『日本大道芸事典』 光田憲雄/著 岩田書院 2020年 (414346312) p.305-313「玉すだれ」では、上記の幕末・明治期成立説の根拠となった「諸芸口上集」(『日本庶民文化史料集成 第8巻』 芸能史研究会/編 三一書房 1985年 (118301123) p.65-74)という資料について、他資料との整合性(幕末・明治期に遡るのはこの資料だけ)から、その成立時期を疑問視し、「南京玉すだれ」という名称の初出は昭和44年で、昭和50年代以降に一般化したと説明する。
『日本庶民文化史料集成 第8巻』所収「諸芸口上集 (三十三)」p.68の口上では、「唐人阿蘭陀南京無双玉すだれ」と表記されている。「白帆」の記載はない。
以上の資料から、「白帆」の文言を含む口上で、確実に幕末・明治期に遡るものは見つからなかった。
〇天橋立を通過していた帆船について
南京玉すだれの口上は、天橋立又は松島付近を帆船が通過していた情景を後年にイメージしたものと仮定し、関連資料を探した。
Googleで「南京玉すだれ 白帆」と検索したところ、歌川広重 「日本三景 丹後 天橋立」という浮世絵の作品があることがわかった。また、同じく歌川広重の作品で「本朝名所 天橋立」「六十余州名所図会 丹後 天橋立」「六十余州名所図会 陸奥松島風景富山眺望之略図」というものもあることがわかった。いずれにも帆船が描かれている。
『歌川広重』 河出書房新社 2017年 (414127165) p.51に「陸奥 松島風景 富山眺望之略図」、p.53に「丹後 天の橋立」の図版が収録されている。
他に、『日本美術作品レファレンス事典 絵画篇 近世以前』日外アソシエーツ 1998年(418150706)で、天橋立の浮世絵を掲載する資料を検索することができる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 大衆演芸 (779 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 南京玉すだれ 天橋立
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000320764