レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年04月02日
- 登録日時
- 2022/06/28 10:25
- 更新日時
- 2022/06/28 13:13
- 管理番号
- 福島逐刊0050
- 質問
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解決
ヘレン・ケラーは福島県を来訪した際、どこに立ち寄ったのかわかる新聞記事を探している。昭和12年7月と昭和23年9月に来訪しているようだ。また、その中に白河市を通過した記事があればあわせて知りたい。
- 回答
-
1.昭和12年来訪時について
昭和12年来訪時の新聞記事は当館で過去に調査しており、以下の紙面が紹介されています。
(1)福島民報昭和12年7月3日号3面
(2)福島民友昭和12年7月3日号3面
※この調査の詳細については、レファレンス協同データベース収録の内容(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000218267)を参照してください。
また、今回再度調査したところ、以下の紙面も掲載がありました。
(3)福島民報昭和12年7月3日号夕刊2面「おゝ素晴らしい!感激の聖女の姿 今日来福したヘレン、ケラー女史」
なお、東京日日新聞は7月3日・4日分は当館で所蔵しておらず、7月5日号には掲載がありませんでした。
以上の記事の内容をまとめると、以下のとおりです。
昭和17年7月の来県時には、仙台から7月2日12:37着の列車で福島駅に到着。
ノートルダム修道院で昼食ののち、福島第一小学校で15:00から講演。
講演終了後、飯坂温泉の花水館に自動車で移動し宿泊した模様です。
翌3日は、12:50福島駅発の下り列車で岩沼を経由して水戸へ向かったとの
記載がありました。この際は福島市以外の地域を訪問した様子はうかがえませんでした。
2.昭和23年来訪時について
(4)福島民報1948年9月9日2面「ようこそ幸福のおばさま 車窓に描く感激 ケラー女史きのう本縣通過」
「画帳の贈り物に大喜び 白河」の小見出しで、白河駅における歓迎の様子が掲載されています。
(5)福島民友1948年9月10日号2面「幸福を載せた"青い鳥"福島駅のケラー女史嬉し涙で愛の交歓」
福島駅・郡山駅で歓迎を受ける様子の記事です(白河については言及無し)
(6)毎日新聞福島版1948年9月7日号2面「"青い鳥"のおばさん載せた列車 明八日に本縣を通過 白河駅には学生が歓迎に繰出す」
西白河教組により、白河駅停車時に西白河地方の学生代表300名が出迎えて"青い鳥の歌"を合唱、代表メッセージ、白河名産のぶどう一かご、学童画帳を贈る予定旨の記載があります。
(7)毎日新聞福島版1948年9月9日号2面「ほほえみにこやかに ケラー女史を迎える駅頭」
郡山駅で歓迎を受ける様子の記事です(白河については言及無し)
(8)毎日新聞福島版1948年9月10日号2面「皆さんお出迎えありがとう 青い鳥のおばさん囲んで福島駅頭の感激」
福島駅で歓迎を受ける様子の記事です(白河については言及無し)
朝日新聞については、以下の記事で9月6日に両陛下と会見された旨掲載がありましたが、福島県に関する記事は見つかりませんでした。
(9)朝日新聞1948年9月7日号2面「両陛下と会見 ヘレンケラー女史」
読売新聞については、昭和23年9月7日~10日を福島版原紙で確認しましたが、それらしい記事は見つかりませんでした。
河北新報については、当館ではこの時期の所蔵がありません。
なお参考までに、以下の資料では1948年のヘレン・ケラーの来日経緯などが簡単にまとめられていますが、その中のp.48に『68歳のヘレン・ケラーは,1948(昭和23年)年8月29日に11年ぶりに日本の人となった。日本ライトハウスにはこの時の模様を知らせる新聞記事も数多く残されているが(後略』とあります。
(10)「ヘレンケラー二度目の訪日」『わが国の障害者福祉とヘレン・ケラー 自立と社会参加を目指した歩みと展望』日本ライトハウス21世紀研究会/編、教育出版、2002年、p46-48
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000317745