レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年06月24日
- 登録日時
- 2022/06/24 10:26
- 更新日時
- 2022/06/26 10:45
- 提供館
- 寒川文書館 (4100002)
- 管理番号
- 20061112
- 質問
-
解決
学童集団疎開について。横須賀から子供たちが寒川へ来て、安楽寺や小谷集会所などに分宿したと聞いているが、詳細がわかるものがあるか。
- 回答
-
寒川町では、昭和19年(1944)8月、横須賀市の豊島国民学校(現在の横須賀市立豊島小学校)から児童440名を受け入れて、町内16か所に分宿し昭和20年(1945)10月まで疎開生活が続けられました。
横須賀市から寒川町に来た学童集団疎開については、次の文献に記述されています。
(主な記述)
・「学童集団疎開」『寒川町史13 別編 事典・年表』70~71頁。
・「戦時下の学校と学童集団疎開」『寒川町史16 さむかわ歴史ものがたり100』170頁。
・『図録さむかわ 寒川町史15別編』133頁。
・『寒川町史7 通史編 近・現代』739~745頁。
・『目でみる寒川』87頁。
・『寒川町史5 資料編 近・現代(2)』444~447頁。
・『寒川町教育史 資料編』117、500~503頁。
(『寒川町史研究』に収録されているもの、他)
・岩城清一「横須賀からの学童疎開」『寒川町史研究』第7号、1994年。
・「<座談会> 横須賀からの学童集団疎開」『寒川町史研究』第14号、2001年。
・椿田卓士「<史料紹介> 学童集団疎開引率教員の日記」『寒川町史研究』第14号、2001年。
・「学童疎開の子どもたち」『広報さむかわ』355号、1989年、(町民の戦争体験談)。
(横須賀市側の文献)
・『新横須賀市史 通史編近現代』684~687頁。
・『新横須賀市史 資料編近現代Ⅲ』818~832頁。
・角井桂子「学童疎開のころ」『市史研究横須賀』第15号、2016年。
・「特集 学童疎開」『市史研究横須賀』第16号、2018年。
・「特集 学童疎開Ⅱ」『市史研究横須賀』第17号、2018年。
・『としま』(創立120周年記念・副読本)28~30頁。
・『横須賀市教育史 通史編』557~600頁。
- 回答プロセス
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学童集団疎開については、疎開先となった自治体の自治体史、教育史、学校記念誌等に該当の記述がある一方、学童達の出身自治体の自治体史、教育史、学校記念誌にも関係記述が含まれており、双方の関係文献を確認する必要がある。また、自治体の広報紙に戦争体験談として学童疎開の事が収録されていることもある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
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寒川町 編 , 寒川町 (神奈川県). 寒川町史 5. 寒川町, 1994.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002404061-00 -
寒川町 編 , 寒川町 (神奈川県). 寒川町史 7. 寒川町, 2000.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002940448-00 -
寒川町 編 , 寒川町 (神奈川県). 寒川町史 15. 寒川町, 2000.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002940751-00
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寒川町 編 , 寒川町 (神奈川県). 寒川町史 5. 寒川町, 1994.
- キーワード
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- 寒川町
- 横須賀市
- 学童集団疎開
- 豊島国民学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人 社会人
- 登録番号
- 1000317627