レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/11/18
- 登録日時
- 2021/11/03 00:30
- 更新日時
- 2021/11/04 10:56
- 管理番号
- 所沢所分-2021-007
- 質問
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解決
重箱がどのように使われてきたか、なぜ使われるようになったのかを知りたい(小学生向きの本)。
- 回答
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重箱については以下の資料に記載があります。
〇『年中行事』 新谷尚紀/監修 ポプラ社 2009年
〇『日本の「食」とくらし 2』 竹内由紀子/監修 学研 2003年
〇『かこさとしこどもの行事しぜんと生活 1月のまき』 かこさとし/文・絵 小峰書店 2011年
〇『日本の生活道具百科 1』 岩井宏實/監修 河出書房新社 1998年
- 回答プロセス
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1.百科事典の項目確認
×『総合百科事典ポプラディア 5 し』 ポプラ社 2011年
×『総合百科事典ポプラティア 12索引』 ポプラ社 2011年
どちらにも重箱の見出し語無し。重、お重でも無し。
2.所蔵資料内容確認
〇『年中行事』 新谷尚紀/監修 ポプラ社 2009年
p.32 「正月料理」の項にお節料理とともに重箱の使われ方の記載あり。
「もともと年神さまにそなえる料理なので、大晦日に重箱につめて、正月のかざりつけをした床の間などにそなえる習慣がありました」、「料理は5品、7品と縁起のよい奇数をとりあわせ、めでたさを重ねるという意味で重箱につめます」
p.70 持ち運びができるように取っ手がついた提重(さげじゅう)の写真が掲載。
〇『日本の「食」とくらし 2』 竹内由紀子/監修 学研 2003年
p.6-9 「おせち料理は、どんな料理?」の項
p.9 ・江戸時代の「食積(くいつみ)」が始まり
「江戸時代初期に、米やもち、のしあわびやこんぶなどを三方にのせた、食積(関西では蓬莱)というものがあった。正月の来客に出して食べていただいていたが、江戸時代末になると、食生活の変化もあって、かざるだけで食べないものになった。そこで、数の子や田作り、黒豆などの、食べられる祝いざかなを重箱につめて出すようになった。」
・ごちそうが重箱に
「重箱の祝いざかなとは別に、大みそかの晩に家族で食べる煮しめ、年とりざかな、なますなどのごちそうがあった。これが祝いざかなと合体して、重箱にいろいろなごちそうがつめられるようになり、今のようなおせちができていった。食生活が豊かになるのに合わせて、重箱の中身もごうかになっていったんだ」
〇『かこさとしこどもの行事しぜんと生活 1月のまき』 かこさとし/文・絵 小峰書店 2011年
p.4-5におせち料理と重箱の説明の記載あり。
「「節句」とよんでいるおいわいの日には、まず神さまにたべものをおそなえして、そのあと、おさがりをみなでわけてたべました。神さまにたべものをおそなえすることを「節供(せっく)」といい、そこから「おせち」と変化したのです。(中略)大みそかまでにつくられ、三が日のあいだ、りょうりをしなくてもよいように、重箱につめておきました」
〇『日本の生活道具百科 1』 岩井宏實/監修 河出書房新社 1998年
p.56-57に重箱の説明あり
3.記載の見当たらなかった資料
△『日本のくらし絵事典』 PHP研究所/編 PHP研究所 2005年
p.29に「おせち」の説明はあり重箱の語はあるが詳細の記載はない
△『昔の道具』 工藤員功/監修 ポプラ社 2011年
p.124 重箱の写真あるが詳細の記載はない
×『日本の年中行事 1月・2月』 深光富士男/著 竹内誠/監修 学研 2004年
- 事前調査事項
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 年中行事.祭礼 (386 9版)
- 参考資料
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- 年中行事 新谷尚紀/監修 ポプラ社 2009.3 386.1 978-4-591-10686-0
- 日本の「食」とくらし 2 竹内由紀子/監修 学研 2003.3 383.81 4-05-201773-0
- かこさとしこどもの行事しぜんと生活 1月のまき かこさとし/文・絵 小峰書店 2011.12 386.1 978-4-338-26801-1
- 日本の生活道具百科 1 岩井宏實/監修 河出書房新社 1998.4 383 4-309-61011-0
- キーワード
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- 重箱
- おせち
- 正月
- 節句
- 料理
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 小学生
- 登録番号
- 1000307027