レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/08/12
- 登録日時
- 2021/09/25 00:30
- 更新日時
- 2021/09/25 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-210145
- 質問
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解決
玄奘三蔵法師が持ち帰った経典の数と,その翻訳にかかった期間を知りたい。
- 回答
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下記の資料に,玄奘三蔵法師が持ち帰った経典の数と,翻訳作業についての記述がある。
資料1 国史大辞典編集委員会/編. 国史大辞典 5. 吉川弘文館, 1985.2【210.03/コ4/5R】
pp.168-169「玄奘」の項
「(前略)貞観三年(六二九)長安を出発して西遊の途に上った。(中略)貞観十九年(六四五)長安に帰ってきた。請来した経論は六百五十七部で引福寺に安置された。(中略)訳出した経論は『大般若経』六百巻,『瑜伽師地論』百巻,『大毘婆沙論』二百巻,『?舎論』『成唯識論(じょうゆいしきろん)』『摂大乗論』など七十五部千三百三十五巻に及んだ。(後略)」
資料2 慧立/著 彦?/著 長澤和俊/訳『 玄奘三蔵』 光風社出版, 1988.10【188.24/ケ1-2】
pp.189-191「巻の第六」の項
「法師が西域で蒐集したのは次のような品々である。(中略)総計 五百二十夾,六百五十七部以上の品々を安置し,これを運ぶには二十二匹の馬を必要とした。」
p.309「巻の第十」の項
「(前略)そしてついに嘉尚法師に命じてつぶさに翻訳した経典を記録させた。それらは総計七十四部一千三百三十八巻に及んだ。(後略)」
資料3 玄奘/著 桑山 正進/著・訳『西域記』 小学館, 1995.7【292.28/957】
p.24「玄奘の使命」の項
「玄奘は(中略)できるだけたくさんの原典をもちかえつてできるかぎりたくさんの翻訳をしようとした。十七年をついやしてインドから唐の都長安にもどったときに,たずさえていたのは六百五十七部という大量の経典であった。」
p.41「一生を捧げた訳経の開始」の項
「翻訳事業は玄奘の死ぬ一か月ほどまえまで十九年間絶えることなくつづき,もちかえった六百五十七部のうち七十四部が完成している。」
資料4 前嶋 信次/著『 玄奘三蔵』 岩波書店, 1978【IS/アオ/105】
pp.162-164「譯經」の項
「貞観十九年正月七日,玄奘は(中略)インドからもたらした經典や佛像を陳列して衆に示した。(中略)(總計五百二十夾,六百五十七部)これらを運ぶには二十二頭の馬を要した。」
p.185「譯經」の項
「(前略)そして弟子の一人に譯し終わった經論の目録を細かに書き上げさせた。すべてで七十四部一千三百三十五巻であった。」
資料5 中野 美代子/著『三蔵法師』中央公論新社, 1999.6【188.21/ケン996/Bチユウ】
p.238「第四章 帰国ののち」の項
「(前略)なにしろ,玄奘がもち帰った仏典は六百五十七部もある。(後略)」
p.250「第四章 帰国ののち」の項
「玄奘が帰国後の二十年間に翻訳した経典は,七十五部一千三百三十五巻である。」
- 回答プロセス
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玄奘,三蔵法師,西遊記をキーワードに所蔵資料を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 経典 (183 9版)
- 参考資料
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- 国史大辞典編集委員会/編. 国史大辞典 5. 吉川弘文館, 1985.2【210.03/コ4/5R】:
- 玄奘/著 桑山 正進/著・訳. 西域記. 小学館, 1995.7【292.28/1995.7】:
- 慧立/著 彦〓/著. 玄奘三蔵. 光風社出版, 1988.10【188.24/ケ1-2】:
- 前嶋 信次/著. 玄奘三蔵. 岩波書店, 1978【IS/アオ/105】:
- 中野 美代子/著. 三蔵法師. 中央公論新社, 1999.6【188.21/ケン1999.6/Bチユウ】:
- キーワード
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- 玄奘(ゲンジョウ)
- 三蔵法師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000305084