レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年08月14日
- 登録日時
- 2021/08/29 00:30
- 更新日時
- 2023/03/31 22:07
- 管理番号
- 5921007471
- 質問
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解決
大阪球場について知りたい。
- 回答
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大阪球場は現在の大阪市浪速区難波中2丁目にある、複合商業施設「なんばパークス」の場所にありました。「大阪スタジ(ヂ)アム」とも呼ばれていました。
『浪速区史』(資料2)p.294「大阪球場」(蔵前町1、四六三)の項には、「終戦後野球熱の昂揚によって、大阪市内にプロ野球場の開設を要望する声が市民の間に頗(すこぶ)る高く府市当局としても…実現を希求していた。」とあります。
一方、南海ホークス側も、『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.25によると、昭和23(1948)年の優勝チームでありながら「大阪のチームだが市内に公式戦のできる球場がなく、(他球団の)甲子園や西宮球場を使っている」ため、大阪市内のホームグラウンドの設立を望んでいました。
『浪速区史』(資料2)p.294-295によると「南海電気鉄道株式会社はもと大阪地方専売局の焼跡を関係官庁より払下をうけ、昭和二十四年…大阪スタヂアム株式会社を設立、二十五年一月十六日起工、同年九月十六日もっとも施設の完備した近代的球場として開場するに至った。」とあります。
建設の経緯や開場の様子については、『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.34-37や『南海ホークスがあったころ -野球ファンとパ・リーグの文化史-』(資料3)p.67-75に詳しい記述があります。
当初、開場は昭和25(1950)年9月12日でしたが、台風接近の荒天のため記念式典のみ開かれ、初試合として予定されていた南海ホークスの紅白戦は順延、トラブルだらけの開場でした。
観客席は内野外野で3万5千人を収容、内野観客席には日本の球場では初めての「ボックス席」を設置していました。翌昭和26(1951)年には関西の球場初の夜間照明設備が設置され、ナイターも開催されました。
『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.41-47によると、都心という絶好の地の利を生かして、スタンド下部が5階建てのテナントビルとして利用されました。「大阪ビリヤード会館」やインドアゴルフ場、貸ホール、土井勝料理教室や関西美容理容専門学校、日本電気技術専門学校、囲碁センター、ビアホールなどもありました。
ナイター設備があることから、グランドの利用も活発で、パ・リーグのみならずセ・リーグの試合が組まれるケースも多く、さらに歌謡ショー、オペラ、運動会など様々なイベントの開催場として、大阪球場はその名を高めていきました。
そして大阪球場開場から38年後、昭和63(1988)年、南海ホークスは50年という球団の歴史に幕を閉じました。南海ホークスから福岡ダイエーホークスへの譲渡については『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.59に「南海ホークス大阪球場を去る」と題した記述があります。「…10月15日には、大阪球場で最後の公式戦である対近鉄戦が行われ、南海ホークス最後の雄姿を見ようとする多くのファンを集めた。」
南海ホークスは福岡ダイエーホークスとなり、平成5(1993)年からは福岡ドームを本拠地としました。
その後の大阪球場については、『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.63-79、『南海ホークスがあったころ -野球ファンとパ・リーグの文化史-』(資料3)p.121-123、およびp.316-326に記述があります。
それによると2年後の平成2(1990)年のシーズンまでは、福岡ダイエーホークスがビジターとして大阪球場に来て近鉄バファローズと試合をするなど、球場として存続しましたが、その後、球場は住宅展示場や仮設テントによるミュージカル上演などに使用されます。平成10(1998)年10月に「さよなら大阪球場!野球フェスタ98」が開催された後、スタンドの取り壊しが始まりました。
『懐かしの球場 関西編』(資料4)p.188-205には昭和63(1988)年から平成14(2002)年のスタジアム取り壊しまでの変遷を写真で追うことができます。
『南海ホークスがあったころ -野球ファンとパ・リーグの文化史-』(資料3)p.395-396によると「大阪球場跡地は、複合商業施設「なんばパークス」となった。(中略)なんばパークスの九階には「南海ホークスメモリアルギャラリー」が設置された。また、二階部分には、ホームベースとピッチャーズプレートをかたどった銘板が埋め込まれ」かつて大阪球場があった位置を教えてくれています。
- 回答プロセス
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1.浪速区の大型施設なので『浪速区史』(資料1)を確認。索引に大阪スタジアムがありp102とp294に記述があることがわかる。なお、索引は「大阪スタジアム」であるが、p294には「大阪球場」の項があり、大阪球場イコール大阪スタジアムであることがわかる。
2.当館所蔵検索で、フリーワード“大阪球場”で検索。(資料2)(資料3)(資料4)を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 商業経営.商店 (673 9版)
- 球技 (783 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0012071046> 南海ホークスがあったころ -野球ファンとパ・リーグの文化史-(河出文庫 な26-1) 永井 良和/著 河出書房新社 2010.5 978-4-309-41018-0 (資料3)
- 当館書誌ID <0000716615> 歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡- 大阪スタヂアム興業株式会社社史編纂委員会/編集 大阪スタヂアム興業 1998.9 (資料1)
- 当館書誌ID <0000246444> 浪速区史 川端 直正/編集 浪速区創設三十周年記念事業委員会 1957 (資料2)
- 当館書誌ID <0013008120> 懐かしの球場 関西編 産経新聞社/写真 日本工業新聞社(発売) 2014.6 978-4-8191-1243-7 (資料4)
- キーワード
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- 大阪府大阪市浪速区
- 南海ホークス
- 野球
- 大阪球場
- 大阪スタヂアム
- 大阪スタジアム
- 南海電鉄
- なんばパークス
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000303813