レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2021/03/25 11:33
- 更新日時
- 2023/03/23 10:26
- 管理番号
- 2019-0002
- 質問
-
解決
山形県内のオオカミの生存、信仰などについて書いた資料を探している
- 回答
-
資料1の、「イヌ科」の「ヤマイヌ」の項に、以下のとおり記載があります。
「(方言)オニ(遊佐村及び高瀨村)。(備考)本州・四國・九州にすんだ日本特産種の一であつたが、現今では全國的に絶滅したらしい。明治初年頃には鳥海山や吾妻山には相當をつたものだと云ふ。」
資料2の、「オオカミ」の項に、以下のとおり記載があります。
「4 県内生息状況(分布・生態)
既に絶滅して見られない。『山形縣の哺乳類』(橋本賢助著、1939)によれば、県内ではヤマイヌとして明治初年頃に鳥海山や吾妻山に相当生息していたと記録されている。本種の最後の生息を示す記録は見つかっていないが、遺跡の出土品では確認されている。」
資料3の、「オオカミ」の項に、以下のとおり記載があります。
「「両羽博物図譜(松森胤保)」にはヤマイヌとして4つの図が掲載されている。図から判断して一部は野犬と考えられているが、「明治14年3月8日鶴岡ニ於テ死タル賣物ヲ見ル所ナリ」との記述がある図(図1-3)などはオオカミとみられる。「山形縣の哺乳類(橋本,1939)」によれば、山形県ではヤマイヌとして明治初年頃に鳥海山や吾妻山に相当生息していたと記録されている。」
「両羽博物図譜」(当館では「両羽博物図譜」のうち山犬が掲載された「両羽獣類図譜」は所蔵がありません。)について書かれた資料4には、「ニホンオオカミ」との見出しで4ページにわたり記載があります。そのうち生存についても触れられており、「橘南谿が『東遊記』と題する書に記録しているという(平岩,1981,p.111-113)。」と記載されています。
資料5には、「堀田氏時代のオオカミ」とのタイトルの記事(市村幸夫著)が掲載されています。その中には、「「年寄部屋日記書抜」(日産厚生会佐倉厚生園所蔵・佐倉市寄託)」に、(元禄15年)、(正徳4年)、(享保19年)などにオオカミが現れた記録が記載されています。また、資料5には、「300年前の山形城下に出没したオオカミについて考えてみた。鉄砲の取扱は厳しく取り締まられていたが、オドシ打ちが命じられており、オオカミは全滅することなく山神ともに共存できたのかも知れない。」と記載されています。
資料6には、「「耳口録」 寛延3年(1750) 山形県鶴岡市郷土資料館蔵」が掲載されており、その説明として、「温海町(現、鶴岡市)に狼2匹が現れて、計24人が咬まれました。そのうち8人が30日後に発病して死亡した、とあります。狼に狂犬病をうつされたと考えられます。」との記載があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 資料1 山形県の哺乳類 橋本賢助/著 山形 橋本賢助 193902 (「山形県教育 585号」別刷)
-
資料2 山形県希少野生生物調査検討委員会動物部会 編 , 山形県希少野生生物調査検討委員会. 山形県の絶滅のおそれのある野生動物 : レッドデータブックやまがた. 山形県文化環境部環境政策推進室環境保護課, 2003.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004150732-00 -
資料3 山形県立博物館. やまがたの野生動物. 山形県立博物館, 2013.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024748092-00 -
資料4 磯野 直秀 , 磯野 直秀. 「両羽博物図譜」の研究-3-「両羽獣類図譜」. 1990. 慶應義塾大学日吉紀要. 自然科学 / 慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会 編 (8) p. p1~46
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I3673175-00 (「慶応義塾大学日吉紀要 自然科学」No.8抜刷) - 資料5 村山民俗学会 第289号 山形 村山民俗学会 2015.11.1
-
資料6 東北歴史博物館/編集. 熊と狼 : 特別展. 東北歴史博物館, 2017-09.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I081230191-00
- キーワード
-
- オオカミ
- ヤマイヌ
- 両羽博物図譜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000295752