レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年02月17日
- 登録日時
- 2021/02/24 16:20
- 更新日時
- 2021/05/16 16:10
- 管理番号
- 2020-55
- 質問
-
未解決
伊予松山藩の郡村は幾つあるか。
各郡の郡奉行、代官の一覧、その人達の詳しい経歴等が知りたい。
- 回答
-
1 【資料1】p681~726に1980年当時の郡市別に「行政区画変遷・石高一覧」があり、「伊予国村浦記」、「天保郷帳」には、藩名がわかる村の名前の一覧がある。その資料の村の数を数えると、次のとおり。ただし、「○○村」でなく、「○○分」も一覧に出ているものは、含めて数えている。
(1)「伊予国村浦記」(1700年)
周桑郡25 東予市25 越智郡41 今治市14 北条市59 温泉郡30 松山市106 上浮穴郡19
伊予郡13 合計332
(2)「天保郷帳」(1834年)
周桑郡25 東予市15 越智郡39 今治市8 北条市59 温泉郡30 松山市106 上浮穴郡19
伊予郡13 合計314
2 【資料2】p34-38に史料紹介「近世末期松山藩領における郷名・村名一覧」(柚山俊夫)があり、1869年から1871年までに作成されたと見られる資料が紹介されている。その資料の村の数の記載を抜き出すと、次のとおりで、合計すると313。
温泉郡35 久米郡31 浮穴郡43 伊予郡19 和気郡22 風早郡78 野間郡28 越智郡16 桑村郡17 周布郡24
3 各郡の郡奉行、代官の一覧、そしてその人達の詳しい経歴等がわかる資料については、わからない。一覧してわかる資料は、ないものと思われる。歴史に詳しい伊予史談会役員に聞いたところによると、明治初期に松山藩邸に火事があった関係で、松山藩の史料は残っているものが少ないのではないか、とのこと。この松山藩邸の火事については、【資料3】p280に「明治3年閏10月25日 松山城内三の丸の松山藩庁焼失、藩庁を二の丸に移転する[叢談]。」との記載がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛県の地名』 平凡社 1980 <当館請求記号:K290-54>
- 【資料2】『伊予史談 354号』 伊予史談会 2009.7 <当館請求記号:K200-1>
- 【資料3】『愛媛県史 年表』 愛媛県 1989 <当館請求記号:K200-31>
- キーワード
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- 伊予松山藩
- 郡村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000294111