レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/08/31
- 登録日時
- 2020/10/21 00:30
- 更新日時
- 2020/10/21 00:30
- 管理番号
- 参調 20-0004
- 質問
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解決
▼相撲の起源(農耕儀礼等)について、詳しく知りたい。
- 回答
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相撲の起源について、次のとおり記載があった。
1 『日本相撲大鑑』p30
文献の上でわが国の相撲の古い形を伝えるものとして、『古事記』上巻に、
(上略)爾に其の建御名方神の手を取らむと乞ひ帰して取りたまへば、若葦を取るが如、?み批ぎて投げ離ちたまへば、
即ち逃げ去にき。故、追ひ往きて、科野国の州羽の海に迫め至りて、(下略)
と見える建御雷神と建御名方神の出雲国(島根県)伊那佐浜(現、簸川郡大社町稲佐浜)における力比べの説話があり、この勝負で建御雷神が
勝ったことによって国譲りが行われ、建御名方神は諏訪大社に祭られ、建御雷神は鹿児島神宮に奉祀された。
この力比べの仕方は手乞といわれ、相手の手を握り合って攻めるものであった。その後、二人が同時にかかる手合いに変わったとされ、その有様は
俗に相撲の期限神話とされる「日本書紀」垂仁天皇七年七月七日条に、
(上略)則ち当麻蹶速と野見宿禰と?力らしむ。二人相対ひて立つ。各足を挙げて相蹶む。則ち当麻蹶速が脇骨を蹶み折く。亦其の腰を踏み
折きて殺しつ。(下略)
と見える野見宿禰と当麻蹶速の勝負にうかがえる。
…しかし記紀に見える二つの話は歴史上の事実ではなく、あくまでも神話伝説の域を脱するものではない。…
また、p31に農耕儀礼としての相撲が行われたという記載あり。
わが国で農耕が開始されたのは縄文時代晩期から弥生時代にかけてであるが、実際に相撲が始められたのもそのころと思われる。
それはスポーツとしてではなく、農作物の豊凶を占う農耕儀礼として行われた。
2 『野見宿禰と大和出雲』p53
相撲による農耕儀礼は太古の頃から存在していたという推理は、近年発達した民俗学によって明らかにされている。…相撲の場合は、
隣の集落と比べてどちらが豊作になり、神の恵みを受けることができるかを占うため、集落の代表選手を選んで勝負させ、その結果によって
吉凶を判断したものである。
3 『相撲の誕生』 p96
(民俗学者の折口信夫によると、)
相撲というのは、《田の行事の占いとして、神と田の精霊とが抗争し、結局精霊が神に負けて神の意志通りになる行事であった。》(「年中行事」)という。
つまり、村の外からやってきた神が、田の精霊を屈服させて豊作を約束させる行事で、もともとは勝ち方と負け方が決まっていた演劇的なものであったが、
それが勝った方が豊年になるという年占的要素が強くなったため、真剣勝負に変化していった。
- 回答プロセス
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回答に記載
- 事前調査事項
- NDC
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- 相撲.拳闘.競馬 (788 7版)
- 参考資料
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- 1 日本相撲大鑑 窪寺 紘一∥著 新人物往来社 1992.7 788.1/NI/イ
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2 野見宿禰と大和出雲 池田/雅雄?著 池田/雅之?編 彩流社 2006.12 788.1/NO -
3 相撲の誕生 長谷川明∥著 新潮社 1993.9 788.1/SU -
1 大相撲まるごと雑学事典 浦土/雅也?著 相撲友の会グループ?著 日本文芸社 1992.7 788.1/O -
2 七夕と相撲の古代史 平林/章仁?著 白水社 1998.4 210.3/TA
- キーワード
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- 相撲
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000288450