レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/07/03
- 登録日時
- 2020/08/22 00:30
- 更新日時
- 2020/09/25 16:48
- 管理番号
- 6000054143
- 質問
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解決
かつて庄内地域にあった穂積村と他の村の間で水争いが起きたと聞いたことがあるが、これについて書かれた資料はあるか。
- 回答
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『とよなかの史跡巡り』(瀧健三)p117-118「野田堤の争い」に、寛政2年(1790年)に野田堤(野田・牛立・菰江・島江・庄本・洲到止・島田の各村が共同で築堤した堤防)が補強され、上手の服部・穂積・利倉・上津島・今在家の村々の排水が悪くなったため、裁判で争われ、堤を補強する際の規定を設けることで和解したとの記載があり。
また『新修豊中市史 第1巻 通史1』(豊中市)p793には、承応2年(1653年)に、穂積村と今在家村・牛立村・菰江村・三屋村・嶋江村・嶋田村・洲到止村との間で水論が発生したこと、また寛文9年(1669年)には現在の尼崎市域の17ヵ村と、穂積村を含む猪名川筋26ヵ村で門樋を17ヵ村が伏せたことによる訴訟が行われたとの記載があり。
なお、『新修豊中市史 第5巻 古文書・古記録』(豊中市)p426-447「用水・治水」には、現存する市内の用水・治水関連の古文書の写真や内容解説があるが、上記の案件については記載なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『とよなかの史跡巡り』 瀧 健三/編集 瀧 健三
- 『新修豊中市史 第1巻』 豊中市史編さん委員会/編集 豊中市
- キーワード
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- 穂積村(ホヅミムラ)
- 猪名川(イナガワ)
- 野田堤(ノダツツミ)
- 歴史(レキシ)
- 豊中(トヨナカ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000286114