文学史を中心にお調べしましたが、小林又造のほか、小林丈造の名で掲載される資料もありました。明治27年刊行の『下毛友かき』では、又造で記載されていました。
・『下野の俳諧 風雅の人ここにあり』(竹末広美/著 随想舎 2008)
p.185 「第二章 俳諧人名録の人びと」項の「6「下毛友がき」」の中に、俳号・よみ・居所・通称・俳句があります。「沢鳬 たくきょう 上都賀郡大芦。小林又造。蕣(あさがお)やけふは昨日の秋ならず」
・『栃木県俳句史』(中田亮/編,手塚七木/編 栃木県俳句作家協会事務局 1982)
p.303 「栃木県俳句史・明治以降」の項の「一、明治の俳人たち」より、「明治の俳人名簿」の中に「沢鳬 小林丈造 (東大芦)」とあります
p.448 「五、鹿沼・今市・日光・足尾の俳句」の項の「鹿沼の俳句」に、幕臣であった霜柱庵磊山が私塾を開き多数の門弟を育成したとあり、磊山門下の中に「小林沢鳬―小林又造」とあります
p.451 沢鳬の俳句があります。「捨てられぬ姿や雪のはたか山 沢鳬(小林又造)」
・『鹿沼史林 第6号~第10号』(鹿沼史談会/編 鹿沼史談会 1958)
鹿沼史林 第9号
p.69 「鹿沼俳壇の歴史(その二)明治篇」の項に鹿沼の俳人の一人として「小林沢鳬(小林丈造)」の名前があります
・『下毛友かき 全』(土屋麓/編 田中庄太郎 1894)
※「下毛友かき」(田中庄太郎 明治27年刊)の複製,原本の出版事項:宇都宮町(栃木
県):田中庄太郎,明治27年
本文はくずし字のため図書館では解読しません。巻末「たの部」の項に「沢鳬 仝 東大芦 小林又造」とあります
次の資料は、お調べしましたが記述を確認できませんでした。
・『栃木の文学史』(栃木の文学史編集委員会/編 栃木県文化協会 1986)
p.192-195 「第4 近代文学の序章」項の「第五節 明治の歌人・俳人・柳人」「明治初期の俳人」の中に、本名土屋麓、霜柱庵三世磊山について「磊山は「下毛友かき」又は「下毛の花」などという俳諧誌を出して栃木を中心としてほぼ栃木県南の俳句界を統べる。」とありますが沢鳬(小林又造)の名前は確認できませんでした。
・『鹿沼市の文学碑』(小林信夫/著 鹿沼市立図書館 1987)
・『日本人物情報大系 第49巻(学芸編 9)』(芳賀登/〔ほか〕編 皓星社 2000)
・『栃木県郷土の文学 全』(鈴木奎吾/〔ほか〕編 栃木県高等学校教育研究会国語部会 1966)
・『下野文籍志 栃木県の人と書物』(高宮太郎/編 しもつけ社 1969)
・『鹿沼の碑文』(小太刀源吉/編 小太刀源吉 1932)
・『俳句人名辞典』(常石英明/編著 金園社 1997)
・『東大蘆村郷土誌』(東大蘆村郷土誌編纂委員会/編 )
・『かぬまの歴史 鹿沼市史普及版』(鹿沼市史編さん委員会/編 鹿沼市 2007)
・『かぬま郷土史散歩』(柳田芳男/著 晃南印刷 1991)
・『全国文学碑総覧 新訂増補』(宮澤康造/共編,本城靖/共編 日外アソシエーツ 2006)