レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年12月26日
- 登録日時
- 2019/12/11 17:45
- 更新日時
- 2020/03/06 11:19
- 管理番号
- 京歴-478
- 質問
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解決
京都市内の何箇所かで「是より洛中~」と書かれた石碑を見た。この石碑がどんなものか知りたい。
- 回答
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『京の石碑ものがたり』(①)のpp.26-38「馬の入口「是より洛中」標石」の節によると、この石碑に刻まれている文字は、「是より洛中荷馬口付のもの乗へからす」である。「乗へからす」は「乗るべからず」と読む。
江戸時代には、輸送の手段として牛車か馬が使われ、荷物を載せた馬を「口付のもの」(馬子)が手綱を引いて歩いた。馬子が馬に乗って移動することもあったが、この石碑は馬子が馬に乗ったまま洛中に入ることを禁じたものである。
元は木製の杭が立てられたが、朽ちたため享保2(1717)年頃に石碑が30本建てられた。当初の位置に残っているものはなく、現存するものも移築されたものである。
この資料には、現在確認できる12本の石碑の位置、石碑が建てられた当初の位置も掲載されている。p.37には、明治2(1869)年当時の「是より洛中碑」26箇所の位置を示した『上下京両組一覧之図』も紹介している。
『京都の江戸時代をあるく:秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで』(②)pp.58-61の「「是より洛中」の標柱」にも、この石碑に関する記述があり、p.58には元禄6(1794)年当時の石碑の位置と御土居の位置を合わせて表した図が載っている。
また、これまで知られていた「是より洛中」の碑には建立年の記載はなかったが、個人宅から見つかった石碑に、宝永二酉(1705)年と紀年銘があることが書かれている。
「フィールド・ミュージアム京都」ホームページ内「京都のいしぶみデータベース」(③)には「是より洛中碑」のページがあり、室町小学校、水火天満宮、仁和小学校、日本銀行京都支店、梅逕中学校、翔鸞小学校、京都市中央卸売市場第一市場(復元)にある石碑の解説と写真を掲載している。
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/ishibumitop.html
(最終確認日:2019-11-11)
- 回答プロセス
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京都市内にある石碑についてまとめた『京の石碑ものがたり』(①)を調べ、「是より洛中」碑に関する記述があるのを見つけた。
江戸時代の京都に関して書かれた資料をブラウジングし、『京都の江戸時代をあるく』(②)に関連する記述があるのを見つけた。
京都市内に所在する石標・道標のデータベースである「京都のいしぶみデータベース」(③)にも、「是より洛中碑」を解説したページがあることがわかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 参考資料
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- ① 伊東 宗裕著.京の石碑ものがたり.京都新聞社,1997. (当館請求記号:K1||210.028||I89||)
- ② 中村武生著.京都の江戸時代をあるく:秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで.文理閣,2008. (当館請求記号:K1||210.5||N37||)
- ③ 「京都のいしぶみデータベース」
- キーワード
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- 是より洛中
- 石碑
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000270147