レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年03月22日
- 登録日時
- 2019/12/04 16:16
- 更新日時
- 2020/03/04 13:19
- 管理番号
- 大分県立郷土-2017-037
- 質問
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解決
国東市安岐町諸田の御田植祭の由来を知りたい。
- 回答
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以下の資料より、文政4年と文政10年という記述が見つかったことを紹介。
【1】『日本の民俗芸能調査報告書集成 21』 三隅 治雄/編集委員 海路書院 2007
p3-4 「御田植祭」 ”奈多・若宮・山の三神社のものは同系統である。山神社(安岐町諸田)へは文政4年(1821)に奈多宮から伝えられたという。演劇的にも整ってい配役がはっきりしているが、部分的な違いはある。奈多宮にはない種蒔きは廃れたのであろうが、文政4年に山神社に伝授したのは、神謡と田植歌だけかもしれない。神謡・田植歌は両社ともほぼ同じ古風である。山神社は奈多宮よりも滑稽な所作が多い。神事開始の的射は山神社のみで行われている。”
【2】『安岐郷今昔』 安岐町/編 安岐町 1995
p86-87 「諸田御田植祭」 ”約170年前の文政4年(1821)から続く祭りで、旧正月の15日、諸田地区の山神社で今年の豊作を祈って催されます。”
【3】『大分県指定無形民俗文化財』 国東市伝統文化活性化実行委員会/〔編〕 国東市伝統文化活性化実行委員会 2012
”諸田地区の御田植祭は、文政10年(1827)、諸田村七衛衛と末広七郎左衛門が奈狩江村(現杵築市奈多)の奈多八幡神社の御田植祭の方法を伝えたことに始まるといわれ、五穀豊穣と氏子繁栄を祈願して毎年行われてきました。”
【4】『ふるさと芸能伝承』 安岐町教育委員会/〔編〕 安岐町教育委員会 1995
p3 「諸田山神社御田植祭の歴史、沿革について」 ※祭りの由来については記述なし。
- 回答プロセス
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1 自館蔵書検索システムで「諸田」「田植祭」などをキーワードに検索し、資料確認。
2 杵築市史等を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 10版)
- 参考資料
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三隅 治雄/編集委員 , 大島 暁雄/編集委員 , 吉田 純子/編集委員 , 三隅‖治雄 , 大島‖暁雄 , 吉田‖純子 , 大分県教育委員会 , 宮崎県教育委員会. 日本の民俗芸能調査報告書集成 21. 海路書院, 2007.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021695704-00 , ISBN 9784902796261 - https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I087278276-00
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安岐町 編 , 安岐町. 安岐郷今昔 : 合併40周年記念写真集. 安岐町, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I087258403-00 - 国東市伝統文化活性化実行委員会 〔編〕 , 国東市伝統文化活性化実行委員会. 大分県指定無形民俗文化財 諸田山神社御田植祭. 国東市伝統文化活性化実行委員会, 2012. (国東の文化財)
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安岐町教育委員会 〔編〕 , 安岐町教育委員会. ふるさと芸能伝承 : 諸田山神社御田植祭. 安岐町教育委員会, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086626089-00
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三隅 治雄/編集委員 , 大島 暁雄/編集委員 , 吉田 純子/編集委員 , 三隅‖治雄 , 大島‖暁雄 , 吉田‖純子 , 大分県教育委員会 , 宮崎県教育委員会. 日本の民俗芸能調査報告書集成 21. 海路書院, 2007.
- キーワード
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- 田植祭
- 安岐町
- 諸田
- 山神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000269853