以下、上記のように推測する根拠を示す。
○『妙法蓮華経』(請求記号 A12/156/1-10)について
通常、蓮永寺の旧蔵書には、図書館で押された「大正五年八月二十五日貞松蓮永寺寄贈」の寄贈印か、「貞松文庫」「良岳貞松山蓮永寺印」などの蓮永寺の蔵書印、それと分かる書き入れがある。A12/156にはそのいずれもないが、「瑞光寺常住物」という書き入れがヒントになる。同じく「瑞光寺常住物」の書き入れが見られる資料に、『延命地蔵経鈔』(請求記号 A72/113)がある(本文部分に対する書き入れはなし)。この『延命地蔵経鈔』には貞松蓮永寺の寄贈印と「良岳貞松山蓮永寺印」の蔵書印が見られるので、明らかに蓮永寺の寄贈書であることが分かる。また、A12/156に押されていた蔵書印の一つ(「日富」か?)と同じ印が、『風水稿』(請求記号 A84/50)の第2冊にも押されている。『風水稿』も蓮永寺の寄贈書である。『風水稿』には蓮永寺の28・29世を勤めた見龍日遇(後に福寿院日富)〔1777~1840〕の署名が各冊に見られるが、蔵書印が日富のものかどうかは不明。これらの点からA12/156は貞松山蓮永寺から入手した蔵書と考えられる。また、「瑞光寺常住物」とあることから、蓮永寺以前は「瑞光寺」が所持していたと推測される。日蓮宗関係で「瑞光寺」と言えば深草山瑞光寺が著名だが、書入れの瑞光寺が深草山瑞光寺を指すかは不明。
○『妙法蓮華経』(請求記号 A12/157/1-10)について
こちらも、蔵書印や署名から推定する他ないが、現状では、そこからも有益な情報は得られない。「洞宗空集所持」(第8冊の裏見返)、「天保龍舎集/空集開拝持」(第9冊の裏見返)といった書き入れから、天保頃は曹洞宗の僧(蔵書印から空集智開という人物か)が所持していたことは分かるが、どこから大学に寄贈されたのかは不明である。別に「池上」の印があるので、天保以降、池上本門寺か、その塔頭寺院に渡り、その関係者から大学へ寄贈されたということかもしれない。表紙右肩に「日宗大学」のラベルが見られるため、日蓮宗大学から立正大学へと変わった大正13年以前には大学に所蔵されていたことは確かである。A12/157にある「弐□宮學之章」の印と同様の印とその持ち主の書名が『妙法蓮華経大意』(請求記号 A03/139)にもある。署名から「弐□宮學之章」は「壱柳玄學之章」であることが判明するが、A03/139の寄贈者は不明である。