レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年10月15日
- 登録日時
- 2019/03/08 14:51
- 更新日時
- 2020/02/24 10:53
- 管理番号
- 新県図-01396
- 質問
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解決
田巻与兵衛について
- 回答
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当館所蔵の(1)~(10)の資料を調査しましたが、「田巻与兵衛」に関する記述は見つかりませんでした。
なお、(1)~(5)の資料に、新潟県の田巻家についての、(6)の資料に、新潟県における田巻姓の由来についての記述がありましたので、参考までに申し添えます。
(1)『新潟県史』通史編5 近世3(新潟県/編 新潟県 1988)
p349に「蒲原郡田上村(田上町)の田巻家は大地主として知られているが、(中略)資料上の初見は文化六(一八〇九)年で、本家六代目の三郎兵衛のとき次男良平が流質で入手した株で鎌倉新田(小須戸町)で酒造業を開始している。」との記述があります。
また、p503には「会津藩の船宿を務めた新潟町の商人田巻家」との記述があります。
(2)『新潟県史』通史編 6 近代1(新潟県/編 新潟県 1988)
p105(「四 草莾隊」の項)田上村の田巻家の当主三郎兵衛の子供で寺泊五十嵐家の養子となった武兵衛と、分家した隆左衛門の二人、他に使用人と合わせて五人が居之隊に参加した。」との記述があります。
(3)『越佐人物誌名家系譜』(牧田利平/編 野島出版 1986)
p133~137に、慶長~大正までの、田上町の田巻家の系図が掲載されていますが、「田巻与兵衛」の名前は見つかりませんでした。
(4)「新潟町豪商玉木家覚書(一)」(小村弌/著 『郷土新潟』17号 1975 p1~p16)
p1に、新潟の豪商玉木家は3代目から「田巻」に改められた旨の記述があり、p1~2に、元祖(寛政)~11代(安政)の新潟町の豪商玉木家の略系図が掲載されていますが、こちらにも「田巻与兵衛」の名前は見つかりませんでした。
(5)「原田巻家と椿寿荘」(武田一夫/著 『郷土たがみ』1号 1988 p62~p78)
p63に、「田上町でも近世の豪農邸宅の田巻家(原田巻家)」との記述があり、原田巻家の略譜が掲載されていますが、「田巻与兵衛」の名前は見つかりませんでした。
(6)『新潟県民の名字・名前』(和田堅/著 ア-トグラフィック新潟 1898)
p101(玉置氏の項)に「日高郡の発祥で平氏系後に藤原氏系で、南北朝時代に北朝側に属して発展し、玉木・田巻姓ともなる」との記述があります。
(7)『新発田藩史料』[第2巻 藩臣篇](新発田市史編纂委員会/編 1988)
(8)『長岡藩の家臣団』(長岡市立中央図書館文書資料室/編 長岡市立中央図書館文書資料室 2002)
(9)『史料集・高田の家臣団』上越市史叢書 No.5(上越市史専門委員会近世史部会/編 上越市 2000)
(10)『三百藩家臣人名事典』第四巻(家臣人名事典編纂委員会/編 新人物往来社 1988)
(11)『長野県史』通史編 別巻年表索引 索引(長野県/編 長野県史刊行会 1992)
(12)『信濃史料索引』(信濃史料刊行会/編 信濃史料刊行会 1972)
(13)『新編物語藩史』第4巻新人物往来社/編 新人物往来社 1976)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 田巻家(新潟県)
- 田巻姓(新潟県)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000252815