レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/01/01
- 登録日時
- 2019/02/01 00:30
- 更新日時
- 2019/02/01 11:26
- 管理番号
- 滋2018-0031
- 質問
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解決
清須会議後の柴田勝豊の長浜支配について知りたい。
- 回答
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柴田勝家の長浜支配時代については、『長浜市史』第2巻に記述があります。それによると、清洲会議において織田信長の遺領配分が話し合われ、羽柴秀吉の本領の長浜を配分されたのは柴田勝家でした。しかし、実際に長浜に入ったのは、勝家の甥の柴田勝豊でした。
勝豊が天正8年(1580年)8月24日に、坂田・浅井・伊香の湖北三郡に対して徳政を発布したこと、また同じ日に竹生島に対して三百石の地を安堵したこと、同年8月28日付で木之本地蔵として知られる浄信寺に対して毎年の米の寄進を申し入れたことが記述されています。
また、家臣の大沢次郎左衛門尉に、明智側について殺害された阿閉貞大の旧領1649石と浅井郡錦織郷351石、合わせて2000石を与えました。
このように勝豊は長浜城主として政治と家臣団形成を行いましたが、実権を握っていたのは羽柴秀吉に降伏した同年12月9日までです。
『近江長濱町志』、『東浅井郡志』でも同様の記述ですが、関係文書の翻刻が掲載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 1 長浜市史 第2巻 秀吉の登場 長浜市史編さん委員会∥編集 長浜市役所 1998年 S-2161-2 p.379-383
- 2 近江長濱町志 第1巻 本編 上 中川泉三∥編 中澤成晃∥[ほか]校訂 臨川書店 1988年 S-2161-1 p.140-147
- 3 東浅井郡志 第2巻 黒田惟信∥編纂 名著出版 1971年 S-2160-2 p.662-663
- キーワード
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- 長浜
- 長浜城
- 柴田勝家
- 柴田勝豊
- 羽柴秀吉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000250921