レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/02/03
- 登録日時
- 2017/02/04 00:30
- 更新日時
- 2017/02/04 00:30
- 管理番号
- 滋2016-0080
- 質問
-
解決
惟喬 (これたか)親王伝説について知りたい。
- 回答
-
『滋賀県百科事典』によりますと、「文徳天皇の第1皇子惟喬親王、母は紀氏の出であった。天皇はもちろんこの皇子に譲位を考えていた。しかし第4皇子の惟仁(これひと)親王は、母が藤原氏の出であって、一門が皇位につくことを希望した。それが悲劇的な伝説をうむ発端で、『江談抄(ごうだんしょう)』には惟喬側に東寺の真済(しんぜい)僧上が、惟仁側には延暦寺の真雅僧上がついて護持の僧となり、たがいに自分のほうからの立太子をいのりあったとある。『平家物語』ではそれが、競馬、相撲であらそうなど、護持の僧も真済・恵亮(えりょう)とかわっての祈り競べとしだいにエスカレートして、ついに惟仁側が勝ち名乗りをあげる。さらに『曽我物語』になると、負けた惟喬が世をはかなんで都をさり、ついに比叡山麓の小野の里へと閑居したことになっている。ところが木地屋の縁起『親王縁記』では、小野からひそかにのがれた惟喬は、ついに近江の湖東愛知川上流の小椋谷に流離して、そこで木地挽物(ひきもの)の轆轤を発明し、木地職の祖神とあがめられるようになる。以上が、世に惟喬親王伝説というものの大筋である。→木地屋(橋本鉄男)」とあります。
『日本説話伝説大事典』、『日本伝奇伝説大事典』、『日本架空伝承人名事典 新版』にも記述があります。
また、惟喬親王と木地屋に関する伝説として、『永源寺町史 通史編』に「小椋谷の惟喬親王伝説」、『同 木地師編 下巻』に「惟喬親王御縁起」が収録されています。『木地屋のふるさと』、『小椋の山里』などにも記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
-
- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.304-305,190
-
2 日本説話伝説大事典 志村有弘∥編 諏訪春雄∥編 勉誠出版 2000年 R-3881-シ p.375-376 -
3 日本伝奇伝説大事典 乾 克己∥ほか編 角川書店 1986年 R-3881-イ p386-387 -
4 日本架空伝承人名事典 大隅和雄∥編 尾崎秀樹∥編 平凡社 2012.3 R-2810-オ p.259-261 -
5 永源寺町史 通史編 永源寺町史編さん委員会∥編集 東近江市 2006年 S-2147- 06 p.598-600 -
6 永源寺町史 木地師編 下巻 永源寺町史編さん委員会∥編集 永源寺町 2001年 S-2147-2 p.447-456 -
7 木地屋のふるさと 橘文策∥著 未来社 1963年 5-3847- 63 p.11-30 -
8 小椋の山里 永源寺町教育委員会∥編 永源寺町教育委員会 1980年 S-3847- 80 p.40-43
- キーワード
-
- 惟喬親王
- 木地屋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 2110049-5701(豊郷町立図書館提供)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000208795