レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月19日
- 登録日時
- 2016/06/24 16:24
- 更新日時
- 2016/09/06 13:33
- 管理番号
- 埼熊-2016-023
- 質問
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解決
赤沼藩二代藩主、内藤正友が常陸高森に陣屋を構えてからの藩の名を「高森藩」とする資料と「赤沼藩」とする資料がある。
幕府は、藩の名前を特定しなかったのか知りたい。
- 回答
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下記資料に「藩」は江戸時代では公の文書で使われる語ではなかったとの記述が見つかり、これを紹介した。
『江戸時代の武家社会 公儀・鷹場・史料論』(福田千鶴著 校倉書房 2005)
『明治維新の言語と史料』(青山忠正著 清文堂出版 2006)
『近世近代の歴史と社会』(安藤精一編 清文堂出版 2009)
『19世紀日本の歴史 明治維新を考える』(三谷博著 放送大学教育振興会 2000)
- 回答プロセス
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1 「赤沼藩」「高森藩」について辞典類を確認する
『藩史大事典 第8巻 史料・文献総覧・索引』(雄山閣出版 1990)
索引「内藤正勝」「内藤正友」より下記資料を確認する。
『藩史大事典 第2巻 関東編』(雄山閣出版 1989)
p631「赤沼藩」
「陣屋 赤沼陣屋 所在地 埼玉県比企郡鳩山町赤沼(遺跡は存在しない)」とあり。
『三百藩藩主人名事典 1』(新人物往来社 1986)
p381「赤沼藩」の項目あり。
『藩史事典』(秋田書店 1976)
p86「高森藩」
「譜代 陣屋・茨城県真壁郡大和町〔元禄〕7年正友は所領を常陸真壁・信太・那珂、下総香取、上総長柄、武蔵大里・入間・比企、上野山田の九郡内に移されて、高森に陣屋を構えたが、同16年信濃岩村田に移封され、高森藩は廃藩となった。」
2 江戸時代の社会に関する資料を調査する
『江戸時代の武家社会 公儀・鷹場・史料論』(回答資料)
p30「大名の支配組織や政治組織を指す「藩」という呼称が江戸時代に一般的に用いられたものではなかったことが指摘されてから久しいが」とあり。
『明治維新の言語と史料』(回答資料)
p1「序章 近世に「藩」はあったか」
「近世に「藩」はあったか。(略)言葉としてはあったが、制度としては存在しない。(略)藩が地方制度を指す公称として用いられ、ついで太政官制のもとで制度化されるのは(略)慶應四年(1868)閏四月の政体書公布以降である。」
p6「「藩」が使用されるのは、学者の著述・書簡・日記・談話などにおいてであり、沙汰・触など、いわゆる公文書では慶應四年まで発見できない。」
p11 註「「藩」が近世において、公称でなかったこと自体は、いわゆる戦後歴史学の中でも、当初から自覚されていた」とあり、その後に参考文献が列記されている。
『近世近代の歴史と社会』(回答資料)
第一章に、「藩」の名称に関する記述あり。
『19世紀日本の歴史 明治維新を考える』(回答資料)
p37「「幕府」や「藩」は幕末に急に使われるようになり、明治に定着した言葉で」とあり。
- 事前調査事項
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質問者によると、「藩史事典」(秋田書店 1982)には「高森藩」とあり、「本朝武林系禄図鑑」や「元禄 武鑑」には「在所 常州高森」と記載されているが、大部分の藩史事典や歴史書では赤沼藩と表示しているとのこと。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『江戸時代の武家社会 公儀・鷹場・史料論』(福田千鶴著 校倉書房 2005) , ISBN 4-7517-3620-5
- 『明治維新の言語と史料』(青山忠正著 清文堂出版 2006) , ISBN 4-7924-0607-2
- 『近世近代の歴史と社会』(安藤精一編 清文堂出版 2009) , ISBN 978-4-7924-0683-7
- 『19世紀日本の歴史 明治維新を考える』(三谷博著 放送大学教育振興会 2000) , ISBN 4-595-87254-2
- キーワード
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- 内藤 正友(ナイトウ マサトモ)
- 赤沼藩
- 高森藩
- 藩政
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000193869