レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20150826
- 登録日時
- 2015/12/18 00:30
- 更新日時
- 2015/12/18 00:30
- 管理番号
- 福参-1010
- 質問
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解決
日本最初の自動車による交通死亡事故は、大倉財閥の2代目大倉喜七郎の車によるものなのか。
- 回答
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参考URL1 国立国会図書館デジタルコレクション『警視庁史 第1 明治編』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3035536 第229-230コマ 2015.09.18最終確認)
「(七)自動車取締規則の制定」という文章中に以下の記述あり。
「警視庁交通年鑑を見ると、明治四十年の東京府の自動車は十六台と記載されている。
このなかに、大倉喜七郎の競走用と乗用各一台が入つているが、この競走用は日本自動車会社の車庫に入れておいたところ、夜間職工四名がこれを持ち出してのり回しているうち、東海道の平塚辺で電柱に衝突して、四人とも即死してしまつたと伝えられる。これが記録に残るものではもつとも古い自動車による死亡事故のようである。」
一方、参考資料1『日本自動車史』p.274 には、1905年(明治38)10月26日の出来事として、以下の記述あり。
「大阪自働車会社の自動車、堺市神明町大通りで龍小芳(5歳)を轢いて死亡させる。(わが国最初の自動車による死亡事故)」
- 回答プロセス
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『日本交通史事典』『日本交通史辞典』に記載なし。
ヨミダス、聞蔵でもヒットせず。
Googleブックスによる検索結果を使用して、参考URL1や参考資料1を見つけた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通政策.行政.経営 (681 8版)
- 参考資料
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- 1 日本自動車史 佐々木 烈/著 三樹書房 2009.7 537/09/253 p.274
- 1 国立国会図書館デジタルコレクション『警視庁史 第1 明治編』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3035536 第229-230コマ 2015.09.18最終確認
- キーワード
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- 交通事故 自動車 明治時代 自動車史 交通史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000185892