レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/06/27
- 登録日時
- 2015/10/05 00:30
- 更新日時
- 2021/03/06 16:51
- 管理番号
- 201506271
- 質問
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解決
嘉永2年3月の下旬から4月の中旬にかけて、英勝寺の清吟尼を訪れて鎌倉外見物した水戸藩德川家の侍女の旅日記に、
「源氏山に”はた桜”とて老樹一本有、花のかたちかはりたりとそ、 ものゝふのしるしに立しはた桜その名も匂ふみなもとの山”」
この「はた桜」は、源氏山のどこら辺にあったのでしょうか?
- 回答
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「鎌倉郡扇ヶ谷村誌」の源氏山のところに、次のような記載があります。
「昔源義家東夷征伐ノ時此山上ニ旗ヲ立テ軍旅ヲ整フ処ナリ今旗竿ヲ建テシ趾ニ桜樹アリ之ヲ旗桜ト名ク古木ハ既ニ朽チテ今アルモノハ新木ナリ」
はた桜については、他の資料では記載が見当たりませんでした。
『鎌倉史跡事典』では旗立山と呼ぶのは源氏山中央の頂上部であると記載されているので、
はた桜があったのは頂上部ではないかと推測されますが、確かなことは不明です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『神奈川県皇国地誌 相模国鎌倉郡村誌』 神奈川県図書館協会/編 神奈川県図書館協会 199101 29137 (P645)
- 『新編相模国風土記稿 第4巻』 間宮士信/〔ほか原編〕 雄山閣出版 199804 29137 (P328)
- 『鎌倉史跡事典』 奥富敬之/著 新人物往来社 199904 291.37 4-404-02808-3 (P108)
- 『鎌倉の民俗』 大藤ゆき/著 かまくら春秋社 197711 382137 P451~452 「旗立てさくら」として、場所は「源氏山」としか書かれていないが、「その桜の花の中のある花に花のめしべに花びらと同じようなものがついて、源氏の旗のように見えるのがあった」という記載がある。
- キーワード
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- はた桜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000182037