レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年07月26日
- 登録日時
- 2014/06/08 16:43
- 更新日時
- 2016/07/22 16:49
- 管理番号
- 鎌中-2014026
- 質問
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解決
「鎌倉」という地名の由来は何か。またいつごろから使われていたのか。
- 回答
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◆地名の由来
諸説ありますが、地形に由来を求める説が有力です。
①浸食地形・崩壊地形を示す地形用語で、「鎌(かま)」は「えぐったようながけ地」。「倉(くら)」は「谷を意味する古語」(『鎌倉の地名由来辞典』)
「カマ」は洞穴、クラは「岩」の意ともいう。(『角川日本地名大辞典』「かまくらぐん」の項)
「鎌」はかまどのことで、倉は「たに」の意。(『鎌倉・三浦半島おもしろ地名考』)
「蘆噉竈(アシカミ)見命、竈口君等の祖」(旧事本紀)とあり、竈口は鎌倉の異名。竈谷(かまくら)の義で、これを古人は竈口(かまくち)とも呼んだ(『大日本地名辞書 第6巻 坂東』)
他に以下のような説があります。
②神武天皇の征伐により屍(かばね)が蔵をつくったので、「屍蔵(かばねくら)」となりそれがなまった。(『新編相模国風土記稿』村里部 鎌倉郡巻一)
③藤原鎌足が不思議な夢を見て、大蔵に鎌を埋めた。(『詞林采葉抄』)
④アイヌ語の「カマクラン」という「山を越していく」という意味の言葉からできたとか、「カマ・クラ」という「平板な石の山」という意味の言葉からできた。
⑤蒲(がま)がたくさん生えていたので。
⑥「神庫(かみくら)」があって、それがなまった。
⑦神奈川県の中央部に高座郡(こうざぐん)という地名があり、高座を「たかくら」ともよんでいたことから「高倉」「高麗(こま)」に通じ、「高麗座(こまくら)」が「かまくら」になった。
◆いつごろから使われていたか。
史料上の所見は『古事記』(和銅5年・712年成立)です。「鎌倉之別(かまくらのわけ)」とでてきます。
綾瀬市の宮久保遺跡から出土した天平五年(733年)銘の木簡に、「鎌倉郡鎌倉里」と墨で書かれています。
天平七年(735年)の相模国封戸祖交易帳に「鎌倉郡鎌倉郷」とあります。
以上から、8世紀初頭には「鎌倉」の地名が使われていたものと思われます。
- 回答プロセス
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①まずは『鎌倉の地名由来辞典』をみる
②次に『かまくら子ども風土記』を見る
③次に地名事典のたぐいを見る。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 『鎌倉の地名由来辞典』 三浦勝男 東京堂出版 2005 【K1 291.3】
- 「「鎌倉」地名について」 篠原幸久 (『鎌倉』114号 鎌倉文化研究会 2013年2月) 【K1 051】
- 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 角川日本地名大辞典編纂委員会 竹内理三 角川書店 昭和59 【K1 291.33】
- 『神奈川県の地名 日本歴史地名体系14』 平凡社 1984 【K1 291.33】
- 『かまくら子ども風土記 上』 鎌倉市教育研究所 鎌倉市教育委員会 平成5 【K1 291.3】
- 『増補 大日本地名辞書 第6巻 坂東』 吉田東伍 冨山房 1970年 【R291.0】p76,p94
- 『増補 鎌倉考』 呉文炳 理想社 昭和47 【K1 291.39】P13~ かまくらの名称
- 『新版 鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』 鎌倉商工会議所 かまくら春秋社 平成23 【K1 291.3】
- 『鎌倉・三浦半島おもしろ地名考』 三浦一男 多摩川新聞社 1997 【K1291.34】
- キーワード
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- 鎌倉
- 地名
- 由来
- 鎌倉郡
- 鎌倉郷
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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◆「蘆や蒲が生えていた」説の由来は、鎌倉別(かまくらのわけ)の祖が「蘆髪蒲見別王」(あしかみのかまみわけのみこ)であったから。
蘆髪蒲見別王は『日本書記』巻第八 仲哀天皇紀の条、『先代旧事本紀』仲哀天皇の条に出てくる。古事記では「足鏡別王(あしかがみわけのみこ)」
参考文献:『岩波古典文学大系 日本書紀(上)』
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000154081