レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月30日
- 登録日時
- 2013/11/29 14:30
- 更新日時
- 2013/12/15 16:09
- 管理番号
- 047
- 質問
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解決
尼崎藩に水軍はあったのか?
- 回答
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一般に幕藩体制期の諸藩の水軍力は、秀吉の海賊鎮圧令及び徳川幕府による大型軍船建造禁止・安宅船没収方針を経て消滅ないし形骸化する傾向にあります。
尼崎藩については、史料的制約からかならずしも明確ではありませんが、藩管理下の舟運機能があったと考えられます。ただし、それは他藩と同様儀仗的な性格に近かったと考えられ、軍事力と言える存在であったかどうかは疑問です。
尼崎近辺においては、大藩である姫路藩が独自の水軍軍制を有しており、瀬戸内海の東部から大阪湾にかけての水路管理上独自の役割を担っていた可能性があります。しかし、その機能は「軍事行動」というより「警備」であり、それが近世の時代的特徴でした。
太平の世、すなわち徳川の絶対的軍事支配下の平和を基本方針とする幕府の政策によるところが大きく、織豊政権の水軍力として名をはせた九鬼氏が三田藩に封ぜられ、水軍機能を失ったことが典型例であり象徴的です。
こういった歴史を、近世の舟運一般及び、尼崎藩に関する参考文献などにより調べることができます。
- 回答プロセス
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1 戦国期から近世にかけての水軍力に関する参考文献
◆『国史大辞典』項目「海賊衆」
◆『船』(ものと人間の文化史1)
戦国期の大名権力に属する水軍の実戦力は「海賊衆」と呼ばれる人々であったこと、近世に入ると秀吉の海賊鎮圧令により海賊衆は消滅し(村上水軍の一部はかろうじて長州藩に属した)、徳川幕府による大型軍船建造禁止・安宅船(あたけぶね)没収方針により諸藩の水軍力も消滅ないし弱体化していったこと、軍船の一種で安宅船ほど大型ではない関船の流れを汲む藩用船が残るが軍事的意味合いは形骸化し、御座船(儀仗船)的なものへと性格を変えていくことなどを解説している。
2 中世尼崎と海賊・水軍
中世から戦国期の尼崎地域では多くの漁民や舟運業者が活動しており、ときに海賊的行為を働いている。
また次の文献から、織田信長に臣従する荒木村重が尼崎地域を支配していた時代に、村重に属すると考えられる尼崎の水軍勢力が石山本願寺攻め・毛利勢配下の水軍との海戦に加わっていることがわかる。
◆『信長公記』巻九
天正4年(1576)4月 石山本願寺攻めにおいて、「荒木摂津守(村重)は尼崎より海上を相働き」とある。
同年7月 毛利方の能島・来島水軍勢が大坂表に来襲し、対抗する信長方水軍のなかに「尼崎の小畑」が含まれており、敗死している。
◆『織田信長家臣人名辞典』項目「小畑光通(おばたみつとお)」
同辞典は、『信長公記』に登場する「尼崎の小畑」を「小畑大隅守光通」であるとしている。
3 尼崎藩の水軍力
尼崎藩は藩関係文書が断片的にしか残っておらず、軍制などの詳細はかならずしも明確ではないが、明確に水軍指揮にあたると考えられる役職などを見出すことはできない(『尼崎市史』第2巻、第5巻及び尼崎藩家臣団データベース"分限")。
ただし、濠・水路を通じて海に面する尼崎城・尼崎藩にとって独自の舟運機能は必要であり、以下の史料から藩の管理下にある船と乗り手がいたことがわかる。
◆「御家耳袋」『大垣藩戸田家の見聞書 二百年間集積史料「御家耳袋」』所収
「尼ヶ崎御城ニ拾弐挺立之御座船三拾艘御城附御残被成候」(戸田氏が大垣転封時、尼崎城に城付きの十二挺立て御座船三十艘を残していった)という記述がある。
◆「信使来聘自兵庫至大坂引船図」
櫻井神社所蔵(尼信博物館寄託)、『尼崎桜井神社の文化財』収録。朝鮮通信使の船を警護する尼崎藩の関船が描かれている。
◆櫻井神社所蔵(尼信博物館寄託)「青山大膳時代家中屋敷絵図」
別所町南西端の街区(船小屋に隣接)に「水主長屋」(水手・かこ=船乗り)と記されている。
◆尼崎市教育委員会所蔵「(年未詳)松平氏時代尼崎城下家中屋敷其他色分け絵図」
大物町の現西教寺の位置に「かこ御長屋」と記されている。
◆東京大学史料編纂所所蔵「(幕末ヵ)摂津尼崎図(内務地図0043)」
別所町南西端の街区(船小屋に隣接)に「水主長屋」と記されている。(絵図1と同じ位置)
4 近世大阪湾岸水路管理・水軍軍制に言及した研究
◆河野未央「近世初期における海上交通役の編成-摂津・和泉・播磨三ヵ国沿岸地域を素材として-」
大阪歴史学会『ヒストリア』第235号(2012年度大会特集号)所収
同論文によれば、瀬戸内海東部から大阪湾にかけての舟航ルートにおいて姫路藩が独自の水軍軍制を有し、幕府役人の舟航警衛を大坂に至るまで尼崎藩領沿岸も含めて担当しており、やや独自の役割を負っていたと筆者は推測している。
こういった幕府役人警護のような場面で、尼崎藩が姫路藩のような機能・役割を果たしたという記録は、現在のところ見出すことができない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 海運 (683)
- 参考資料
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- 『国史大辞典』第3巻 吉川弘文館発行 昭和58年 (当館請求記号 203/コ-3)
- 須藤利一著『船』(ものと人間の文化史1) 法政大学出版局発行 昭和43年 (当館請求記号 502.1/モ-1)
- 太田牛一『信長公記』 角川文庫 昭和44年 (当館請求記号 289.5//オ)
- 谷口克広著『織田信長家臣人名辞典』 吉川弘文館発行 平成7年 (当館請求記号 281.5//タ)
- 鈴木喬著『大垣藩戸田家の見聞書 二百年間集積史料「御家耳袋」』 愛文書林発行 平成18年 (当館請求記号 219/A/ス)
- 『尼崎桜井神社の文化財』(兵庫県立博物館企画展資料集No.16) 兵庫県立博物館発行 平成4年 (当館請求記号 219/H/ヒ-16)
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河野未央「近世初期における海上交通役の編成-摂津・和泉・播磨三ヵ国沿岸地域を素材として-」
大阪歴史学会『ヒストリア』第235号(2012年度大会特集号、平成24年12月)所収 (逐次刊行物)
- キーワード
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- 尼崎藩
- 水軍
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000141356