レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/09/06
- 登録日時
- 2013/09/30 00:30
- 更新日時
- 2013/10/16 13:41
- 管理番号
- 6000012901
- 質問
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解決
第二次世界大戦中のアメリカ軍の爆撃機B-29の搭乗員の戦死者数はどのくらいか。日本の特攻隊員の死者数と比較したい。
- 回答
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B-29の搭乗員の戦死者数は史料によって人数に差があるが、おおむね3千名強。これに対し特別攻撃隊の戦死者は4160名である。
- 回答プロセス
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210.7(日本-現代史)209(世界史)39(軍事)の書架を探す。
『米軍資料 日本空襲の全容 マリアナ基地B29部隊』(東方出版)では第二十航空軍(マリアナ基地のアメリカ陸軍航空隊、日本本土空襲を担った)の「作戦任務要約」「作戦任務概要」の翻訳で、各作戦ごとの損失機数や損失の状況がわかる。しかし戦死者についての記載はなく、また合計の損失機数・乗員数は載っていない。
『岩波講座 アジア・太平洋戦争 戦場の諸相』(岩波書店)p292「戦争犯罪としての無差別爆撃」には、1945年に日本軍に捕らえられた爆撃隊員百数十人のうち百人近くが軍律裁判により死刑になったとの記載があるが、太平洋戦争中に何名が捕らえられたかや、爆撃隊員の戦死者については記載がない。なお同書p77「海没と特攻死」には、航空特攻による戦死者は約四千名、このほかに水上・水中特攻などがあったとの記載があるが、正確な戦死者数はなし。
さらに文学以外の所蔵資料を「B29」でキーワード検索し、取り寄せて内容を確認する。
『B29 日本本土の大爆撃』(サンケイ新聞社出版局)p210「B29のその後」に、第二十航空軍の死者として、3015人が死傷・行方不明との記載があり。出典・参考図書の記載はなし。
『図説 アメリカ軍の日本焦土作戦』(河出書房新社)p118-119「アメリカ軍が認めたB29の喪失機数は最大四百八十五機」には、中国・ビルマ・インドおよびマリアナからの作戦全般を通じて、第二十航空軍の戦闘搭乗員のうち、戦死または行方不明者は総計3041名、攻撃行動中の戦傷者は332名とあり。なおこの節の記載の出典は第二十航空軍がまとめた「日本本土爆撃慨報」。
大阪府立図書館から『日本上空の米第20航空軍』(大学教育出版)を取り寄せて内容を確認したところ、p14に戦争末期の5か月間の米軍の損失は搭乗員297組3267人との記載があり。これは米陸軍が1947年に発行した冊子「第20航空軍小史」を邦訳したもので、p41には該当箇所の原文もあり。
なお『戦争の日本史23 アジア・太平洋戦争』(吉川弘文館)p261「戦場における死 特攻作戦の考察」によると、航空特攻を中心とした特攻隊の全戦死者数は陸海軍合計で4160名とのこと。階級や年齢別の分析もあり。データの出典元である『陸軍と海軍』を大阪府立図書館より取り寄せて内容を確認したところ、p210「海軍善玉論批判」に特別攻撃隊の戦死者4160名との記載が、またp229「海軍特攻戦死現役将校の分析」に陸軍1688名、海軍航空特攻2525名、回天特攻89名との記載があり。
- 事前調査事項
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B-29は空襲に使われた飛行機。また特攻隊の死者数は4000人程度であると聞いている。
- NDC
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- 空軍 (398 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『日本空襲の全容』小山 仁示/訳(東方出版)
- 『岩波講座アジア・太平洋戦争 5』倉沢 愛子/[ほか]編集委員(岩波書店)
- 『アジア・太平洋戦争』吉田 裕/著(吉川弘文館)
- 『B 29』カール・バーガー/[著](サンケイ新聞社出版局)
- 『図説アメリカ軍の日本焦土作戦』太平洋戦争研究会/編著(河出書房新社)
- キーワード
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- 第二次世界大戦
- 太平洋戦争
- 爆撃機
- 特別攻撃隊
- 特攻
- 戦争
- 歴史
- 昭和
- 戦死者
- アメリカ軍
- 日本軍
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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『日本陸海軍事典 上下 コンパクト版』(新人物往来社)『日本の戦争 図解とデータ』(原書房)には、第二次世界大戦中の日本軍の地域別の戦没者数などは載っていたが、作戦別の死者数はなかった。
また『写真記録 太平洋戦争史 下』(光文社)p137「第二次世界大戦における日米両国の諸統計」には、両軍の戦死者数はあるが、作戦別の死者数はなかった。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000137640