レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/06/29
- 登録日時
- 2013/01/23 02:00
- 更新日時
- 2013/04/29 22:37
- 管理番号
- 6000004744
- 質問
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解決
豊中市庄本町にある椋橋総社(くらはしそうじゃ)の拝殿の欄間には鯉が刻まれており、鯉にゆかりのある神社だときいたが、これについて詳しくわかる資料はあるか。
- 回答
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『新修豊中市史第7巻 民俗』『郷土 庄本の歴史を中心として』などに、椋橋総社と鯉にまつわる伝説が紹介されている。
- 回答プロセス
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郷土資料の書架を探す。
『新修豊中市史第7巻 民俗』(豊中市)p334に椋橋総社の沿革があり。行基が猪名川に橋をかけようとした際椋橋総社に工事の成功を祈願したところ、椋橋総社の祭神が鯉を遣わして工事を助けたという伝承や、祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原から鯉に乗ってこの地に来臨したという伝承があるとのこと。鯉は氏神の使いであり、昔から庄本に住んでいる人々は鯉を食べない。また椋橋総社の二の鳥居の脇には鯉池があり、庄本では鯉を捕らえた際はこの池に放し、また死んでしまった鯉は境内にある鯉塚に埋めることになっていた。鯉は椋橋総社の象徴であるといえ、例祭のときに着る法被には鯉の絵柄が染め抜かれているとの記載があり。
『とよなかの史跡巡り 岡町・豊中・刀根山・熊野田・曽根・服部・庄内方面』(瀧健三)p119-120「椋橋神社(椋橋総社)」には、椋橋総社の祭神は海から鯉に乗ってきたことになっており、拝殿に鯉の彫刻があるとの記載があり。
『豊中の史跡たずね描き』(豊中市立教育研究所)p125「鯉池」には、行基関連の逸話として、上記の説のほか、行基来訪の際に洪水が起きたが、鯉が橋を作り行基を渡したという説も紹介されている。
『郷土 庄本の歴史を中心として』(郷土の歴史研究会)p24-26「鯉伝説」には、素戔嗚尊が乗った鯉を埋めたのが鯉塚であるという伝承と、椋橋総社にはこの伝承を物語る版画があること、尼崎市戸ノ内にある治田寺の古文書には洪水の際に鯉が行基を渡したと書かれていること、大阪府全誌には工事の際に行基を鯉が助けたという伝承が紹介されていることの記載がある。
『続 千里の歴史と伝統』(大阪府千里センター)p101「ミコトはコイの背に乗って降臨した」には、スサノオノミコトと鯉、行基の工事と鯉の逸話が紹介されている。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『新修 豊中市史 第七』巻豊中市史編さん委員会/編集 豊中市
- 『とよなかの史跡巡り』瀧 健三/編集 瀧 健三
- 『豊中の史跡たずね描き』福西 茂/著 豊中市立教育研究所
- 『郷土』森本 吉道/著 郷土の歴史研究会
- 『千里の歴史と伝統 続』北田 順三/文と写真 大阪府千里センター
- キーワード
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- 椋橋総社(クラハシソウジャ)
- 椋橋神社(クラハシジンジャ)
- 豊中(トヨナカ)
- 庄内(ショウナイ)
- 昔話(ムカシバナシ)
- 伝説(デンセツ)
- 鯉(コイ)
- 行基(ギョウキ)
- 素戔嗚尊(スサノオノミコト)
- 神道(シントウ)
- 神社(ジンジャ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000127049