レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年12月17日
- 登録日時
- 2013/01/11 10:41
- 更新日時
- 2014/01/10 17:34
- 管理番号
- 20121217-1
- 質問
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解決
前田利家の兜の緒が「加賀茜」であったと言われているが、どんな色だったのか、また現在伝承されている技術やその製品は見ることができるか。
- 回答
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(1)加賀藩の茜染は、延宝2年(1674)9月5代藩主前田綱紀が但馬国出石より茜屋理右衛門を招いて始まったが、染法が秘伝で、理右衛門の死後、さらに弟の雪斎を迎え養子をとらせたが技術を伝承させることがかなわなかったとされている(『石川県史』第3編 石川県編 石川県図書館協会 1974 K209/24/3 p698-699、『友禅研究』野村正治郎編 野村正治郎 1920.8 K753/36 p75-78)
また、『稿本金沢市史 工芸編第1』(金沢市編 名著出版 1973 K222/37/14 p215-225)には、
・享保15年4月、雪斎62歳の時、大野屋次郎兵衛のせがれ次右衛門(18歳)を養子に願い、「茜染一巻、染様の品々」を継がせようとしたが、同年雪斎は死亡し、その後不明。
・享保19年4月、亀甲屋與助等3人に軍用旗・指物類を染めさせ、後には與助1人が従事したが、雨水にあたると色が変わって真の茜染とは異なった。
・寛政の頃、出石に茜染の本家が連綿としていることを聞いて、金沢町奉行高畠五郎兵衛が茜染秘法相伝を懸け合ったが聞いてもらえなかった。
などの記事を記していて、綱紀の保護した茜染の技術は、現在には伝承されていないと考えられる。
(2)当時の茜染の色を確認するには、
『日本の染織 第3巻武家の染織』中央公論社 1982.12(A753/33/3)にp9、11の春日大社蔵の「赤糸威大鎧」の威毛が「その赤色は非常によく残っており、赤色でこれだけ耐久性のあるものといえば、茜染がまず考えられる」(p8)とされていて、見ることができる。
(3)加賀藩に残る甲冑で「茜染」の説明がなされているものはないが、
『加賀藩の甲胄』石川県立歴史博物館編 石川県立歴史博物館 1996.4 K069/25/96-1
『甲冑・鐙・刀装具 加賀藩の技とデザイン』石川県立歴史博物館編 石川県立歴史博物館 1997.4(K069/25/97-1)
などで、赤い兜の緒を見ることができ、
『前田利家関係蔵品図録』前田育徳会尊経閣文庫編集 前田育徳会尊経閣文庫 1999.3(K288.5/1003)
で赤い兜の緒をしてている利家の軍装の画像などで、当時のイメージは確認できる。
(4)加賀藩で染められていた茜染を確認できるだろう資料は、石川県立美術館所蔵の「百工比照」があげられるが、(『百工比照 前田育徳会の名宝』石川県立美術館編 石川県立美術館 1993.9 K706.9/17/93-3、
『前田綱紀展 加賀文化の華』石川県立美術館編 石川県立美術館 1988 K706.9/17/88-1)残念ながら、既存の図録類には掲載されていない。
- 回答プロセス
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上記以外に見つかった、茜屋に関する記事は以下のとおり。
・享保五年五月十六日「町奉行等茜染を専業とする茜屋理右衛門没後の状況を答申す」(『加賀藩史料』第6編 p206)
・享保十二年六月十三日「金沢藩、茜染の工人茜屋雪斉に扶持を給す」(『加賀藩史料』第6編 p586)
・『加能郷土辞彙 改訂増補』日置謙編 北国新聞社 1979.6(K030/1)「茜屋理右衛門」「茜屋雪斉」の項
- 事前調査事項
- NDC
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- 染織工芸 (753 9版)
- 参考資料
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- (『石川県史』第3編 石川県編 石川県図書館協会 1974 (K209/24/3)
- 『友禅研究』野村正治郎編 野村正治郎 1920.8 (K753/36)
- 『稿本金沢市史 工芸編第1』金沢市編 名著出版 1973 (K222/37/14)
- キーワード
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- 茜染
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000126677