レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/08/17
- 登録日時
- 2012/11/07 02:05
- 更新日時
- 2012/11/07 02:05
- 管理番号
- 滋2012-0084
- 質問
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解決
俵藤太の百足(むかで)退治伝説の概要を知りたい。また、俵藤太とは実在の人物だろうか。
- 回答
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『新潮日本人名辞典』によりますと、「俵藤太」は「藤原秀郷」の参照語として掲載されています。藤原秀郷の略歴は「生没年不詳。平安中期の地方豪族。(中略)平将門(まさかど)の乱の時、下野掾・同押領使として最終的には将門追悼の側に立ち、天慶三年(九四〇)平貞盛(さだもり)らと共に将門を討った。(後略)」とあります。また、『滋賀県百科事典』のなかの「俵藤太の百足退治」によりますと、伝説の概要は「南北朝時代ころよりつたわる説話。俵藤太(藤原秀郷)が近江国勢多(せた)の橋で、橋の上に横たわる大蛇の背をふんでとおりすぎると、大蛇はその勇気に感じて三上山の百足(むかで)を退治してくれとたのむ。藤太は唾をぬった矢をいて目的を達した。すると大蛇はつかってもつきない巻絹、米のつきない俵、思うままに食べ物のでる鍋をくれる。ついで竜宮にまねかれ、鎧・太刀と赤銅の釣鐘をおくられてかえり、釣鐘は園城寺に寄進したという。百足退治の話はすでに『太平記』などにもみえるが、『御伽草子』(おとぎぞうし)でさらに説話化が行われた。俵の姓も彼のもらった俵に由来するともつたえられている。いつぽう藤太の名には、炭焼藤太、芋掘藤太などの鋳物師伝承とのかかわりが考えられる。事実、三上山は古くから鉄、銅などの鉱脈がはしる所とされ、山師の間では鉄の鉱脈を黒百足、銅の鉱脈を赤百足とよんだそうである。(後略)(橋本鉄男)」とあります
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝説.民話[昔話] (388 8版)
- 参考資料
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- 1 新潮日本人名辞典 尾崎秀樹∥[ほか]編集 新潮社 1991年 R-2810-オ p.1112,1506
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2 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.481 -
3 俵藤太のむかで退治 井野泰雄∥編集 雲住寺 1994年 S-3800- 94 p.41-45 -
4 近畿 流浪と信仰 小学館 1983年 S-3808- 83 p.20-31 -
5 日本昔話事典 稲田浩二∥ほか編 弘文堂 1978年 R-3881-イ p.565 -
6 日本説話伝説大事典 志村有弘∥編 諏訪春雄∥編 勉誠出版 2000年 R-3881-シ p.602
- キーワード
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- 俵藤太
- 百足退治
- 伝説民話-滋賀県
- 藤原秀郷
- 三上山
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 2110049-1101(大津市立図書館提供)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000113752