外務省記録「日本帝国政府海外特派財政経済委員設置並渡来一件」に関係記録が残っています。
1917年9月の勅令により、財政・経済事項処理のため外国へ派遣する人員が必要な場合、「特派財政経済委員」という政府の臨時職員を設置する制度が開始されました。当時の寺内正毅(てらうち・まさたけ)内閣は、その委員長に目賀田種太郎(めがた・たねたろう)男爵を任命するとともに、大蔵省・農商務省の高級官吏や実業家から8名の委員を選出し、第一次世界大戦中の戦時財政の調査のため、米国へ派遣することにしました。
同年10月15日に米国へと出発した特派委員一行は、主目的である戦時財政の調査以外にも、中国への投資や幣制改革をはじめとする経済問題や、日本人移民排斥問題など両国間の懸案について、米国政財界の名士と意見交換を行いました。特に、目賀田委員長はタフト(William Howard Taft)及びローズヴェルト(Theodore Roosevelt)両元大統領や、ルート(Elihu Root)元国務長官といった有力者とも会談しました。そして、日本銀行とニューヨーク連邦準備銀行との連絡協定を締結し、日米銀行や在米日本人商業会議所の設立に向けた予備交渉を行うなど、日米経済関係促進のために尽力し、1918年(大正7年)2月4日に帰朝しました。
上記外務省記録ファイルには、目賀田委員長と米国要人との会談録や、外務省経由でやり取りされた大蔵省と特派委員との連絡電報といった関係文書が収録されています。