レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/03/09
- 登録日時
- 2012/03/28 02:01
- 更新日時
- 2012/03/28 10:10
- 管理番号
- 千県中千葉-2011-0017
- 質問
-
未解決
1.「道祖神」は、当時、誰が起案し、形態の選定は、費用は、石工への依頼は、設置場所の選定・許可などなどは、どのようになされたものかを調べたい。今までに当たった資料では、既存の場所・作造年月の内容がほとんどである。
2.仏像の外観デザイン、例えば、「○○地蔵」は僧侶か、石工か、あるいは何か基になる絵図があるのかを知りたい。資料を見ても仏像の歴史がほとんどで、デザインは誰がどのようにして作られたのかについての記述に行き当たらない。
3.千葉市内の地域に限定も可です。
- 回答
-
千葉郡地方の文献を中心に調査しました。お探しの資料は見つかりませんでしたが、石造物建設に関係すると思われる次の資料が見つかりました。ただし野田と袖ケ浦のものです。
(1)上山和雄「野田町の石工・杉崎弥八 -その1-」(『野田市史研究』17号 2006.3)p93-122 杉崎家の「註文帳」について記述があります。
明治42年の「註文帳」に記されている馬頭観音の図が掲載されています。発注者は七福村吉春の染谷伝治郎で、刻印の内容と、料金が3円50銭だったことが分かります。
他にも鳥居などの発注者やサイズについて紹介されています。石材の運搬や料金については記載されているのですが、デザインの考案者については触れられていません。
(2)石山秀和・實形裕介・外山徹「石に刻まれた文化交流―石造物の寄進者名から」(『袖ヶ浦市史研究』5号1997.3)p81-108飽富神社(袖ケ浦市)の石灯籠の建立過程について、当時の日記が引用されています。建立は文久2年(1862)です。灯籠の作成者、依頼者、資金集めの様子などが紹介されていますが、デザインについては触れられていません。
- 回答プロセス
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質問者の指摘どおり『千葉県石造文化財調査報告』(千葉県教育委員会 1980)など、石造物の所在調査の報告書はあるが、石造物建設の経緯についての資料ではない。
『房総石造文化財関係文献目録』(綿貫啓一 2002)、『房総石造文化財関係文献目録 訂正・補遺・追加』([綿貫啓一] 2008)に千葉県内の道祖神、庚申塔、板碑などについての文献が多数挙げられているが、石造物建設の経緯について記述がありそうな文献なし。
「千葉県歴史関係雑誌記事索引検索」(http://www.library.pref.chiba.lg.jp/03search_chiba/index.html)をキーワード「石造物」や「石工」で検索した結果から回答を得られそうな論文を通覧する。
(インターネット最終アクセス日:2012年3月15日)
- 事前調査事項
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特になし。
神社探訪の際によく見かけるので、書籍や調査報告書を数点閲覧した。
例えば『道の神異聞』(五喜田正巳著 LD書房 1987)という図書(文学者が県内の道祖神を巡り、その場所や言い伝えなどを書き綴ったもの)や特定の地域に関する資料(例えば『千葉市史』『山武の道祖神』など)に掲載されている個々の石造物についての言い伝えなどは確認済。
千葉県内に限らず、例えば『道祖神信仰の形成と展開』(倉石忠彦著 大河書房 2005)など「道祖神」についての本は閲覧済。
- NDC
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- 民間信仰.迷信[俗信] (387 9版)
- 参考資料
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- 上山和雄「野田町の石工・杉崎弥八 -その1-」(『野田市史研究』17号 2006.3) (0501432078)
- 石山秀和・實形裕介・外山徹「石に刻まれた文化交流―石造物の寄進者名から」(『袖ヶ浦市史研究』5号1997.3)p81-108 (0501078290)
- キーワード
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- 道祖神
- 石工
- デザイン
- 石造物
- 千葉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000104429