レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年6月25日
- 登録日時
- 2011/11/30 10:16
- 更新日時
- 2012/03/12 23:33
- 管理番号
- 埼浦-2011-051
- 質問
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解決
かつて浦和市に存在した中野原新開地という芸妓街・花街についての調査・研究資料を見たい。
- 回答
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「中野原新開地」としての記述は2点のみであったが、下記資料により「中ノ原新地」「新開地」の呼称と所在を確認でき、大正7年から昭和33年までの関連資料を紹介した。
1 「中野原新開地」の記述が確認できた資料
「全国遊廓案内」(『コレクション・モダン都市文化 34 遊廓と売春』所収)
「埼玉県浦和町字中野原新開地にあって、鉄道は東北線浦和駅で下車、浦和町の東、鉄道線路の東方(向ふ側)にあって、乙種料理店の集合である。」(略) 「しかも警察の公認を得て家ごとに酌婦を置いて居るのである、遊興費は殆ど一定せられて一時間三圓となって居る。」(以下略)
『浦和総覧』
p231 「乙種料理店」13軒の屋号・店主名54名の芸妓名掲載あり。「全国遊廓案内」と共通の記述あり。
2 「中野原」(なかのはら)の所在についての記述がある資料
上記の2点以外に旧浦和町(市)に「中野原」の表記を確認できないため、「なかのはら」を地図上で確認する。
『浦和市史 4 近代史料編』
p111「北足立郡各村字届書」に字として「中ノ原」あり。明治14年12月付。
『舊新町名地番対照表 昭和十二年十月一日現在』
『新舊町名地番対照表 昭和十二年十月一日現在』
によると「中ノ原」という町名あり。新町名あり。
『浦和市議会史 上巻』付図 「埼玉県浦和耕地整理組合原形図 大正十一年版」
現在の浦和駅東側に「字中ノ原」の記述あり。
『昭和九年版 埼玉県浦和耕地整理組合確定図』地名あり。
3 「新開地」についての記述がある資料
『埼玉県警察史 1』
p915 「花柳界指定地の設定」の項に、大正8年32箇所の指定地が定まる間の経緯あり。新たな指定地の記述はなし。
p964 第7章「終戦後の警察の実態と活動」の「街娼の取り締まり」
p968に「浦和の特飲街」として埼玉新聞昭和27年8月15日写真転載
「まだいるカゴの鳥 抱主のタライ廻しも しのんで稼ぐ従業婦 浦和特飲街の場合」 『埼玉新聞 昭和27年8月15日』
『埼玉県警察史 1』(前掲資料)に転載された写真の記事で、浦和市仲町地内にある特飲店(旧指定地)の実態調査が紹介されている。
「大正7年7月20日指定地料理店として14軒従業員30名」での誕生、「発足時からの営業店は4軒残っているだけ」との記述あり。他に関連統計等あり。
『埼玉県議会史 3』
p1029-32に花柳界指定地の設定に関連して11月27日県会記録あり。個別の指定地なし。
『大正・昭和史料目録』 (浦和市 1982.11)
p237 「P.社会と生活 5.世相・生活」の項に以下の記述あり。国民新聞は埼玉県立文書館所蔵。
大正5.5.5 浦和の新開地 目ざましき発展振り(体育会原他跡)K573 国民新聞
大正8.1.14 浦和花柳区の町営計画 東京から芸妓団体 K922国民新聞
大正8.1.27 仲町民は花柳区を共有 K956 国民新聞
大正8.5.21 浦和の花柳区は仲の原と命名 K1043 国民新聞
大正8.5.28 7月1日から営業上の注意を酌婦、雇主にする 国民新聞
大正8.6.5 浦和町花柳指定地 漸く一軒開業 K1065 国民新聞
「消える赤線 ① 浦和」『埼玉新聞 昭和33年2月5日』
記事後半に「乙種浦和料亭組合営業しているのは14軒」とあり。
『東京日日新聞女性史関係記事見出し 大正7年分』『同8年分』(埼玉県県民部女性政策課 1991)に以下の記述あり。
大正7.7.7 県令で花柳地区を指定
大正7.7.10 浦和の花柳区 中の原と決定か
大正7.11.2 浦和の花柳区
大正7.11.27浦和花柳地決定
大正8.1.25 浦和花柳界の指定地決す
大正8.3.20 浦和花柳地定まる
4 浦和町・浦和市の花柳界、サービス業 関連資料より
『浦和総覧』 (1927) 前掲
『浦和町要覧』 (竹園馨 1932)
p80 「花柳界4」の項 「最近大字大谷場に三業指定地の許可があり、着々新築に着手しており、付近丘陵地を利用して近き将来大公園設置の計画があるなど(後略)」とあり。
その他「待合」や「芸妓屋13軒」の記述あり。「色とりどりに浦和の花と咲く美妓の数は大小合わせて40、不景気風に襲われて一頃からみると大変な寂れようである。」との記述あり。
『縣南浦和川口総覧』(1937)
p65 「花柳界」の項に、料理店、待合、芸妓屋の店名の記載あるが、調査対象を含むかは不明。
「躍進浦和市の全貌紹介」(『埼玉評論6-4』p107)
待合・藝妓屋の紹介あり。また、同号に昭和13年2月現在の「浦和芸妓連名」として14軒の店名48名の芸妓、1名の幇間の氏名あり、調査対象を含むかは不明。
『浦和市商工人名鑑 昭和13年版』(浦和市勧業課 1939)
p63 乙種料理店12軒、店名はなく、営業者氏名のみ確認。
『浦和市商工名鑑 昭和25年版』
p185 サービス業として「旅館」「料理店」「飲食店」「カフェー」「喫茶」「外食券食堂」に項を分けて掲載。「芸妓」に8名記述あり。
ただし、昭和13年の名鑑と同じ項「乙種料理店」、1957年版と同じ「料亭」の項なし。
『浦和市商工名鑑 1957』
p240に「料理店」「料飲店」とは別項に、「料亭」として旧「中ノ原」の14軒の店名、代表者名、住所、一部電話番号あり。
この店名の中には『浦和総覧』(京北振興会編 1927)掲載の乙種料理店13軒と重複するものが見られる。
「埼玉県北足立郡職業別案内図(仮称)大正13年3月発行」『蕨市調査報告書 第6集』附録
浦和町の地図中、浦和駅の東側に「新地」と書かれた場所があり、道の反対側に「料理店」、各店名はなし。
「大日本職業別明細図之内 信用案内 埼玉県」(『昭和前期日本商工地図集成Ⅰ』 東京交通社 1928)所収。
店名は見あたらないが「新地」の記述あり。
『浦和市動態図鑑』(都市動態図刊行協会 1958)
前掲『浦和市商工名鑑 1957』掲載の「料亭」店名記述あり。
5 その他
菜川作太郎「まぼろしの往時の浦和」(『浦和 28号』p22-24)
p24 「若いわたくしは、しばしば駅の裏側にあるわびしい妓たちのいる所へ足を踏み入れたりしたが、そこもまだかすかに宿場の女節屋という感じが残っていた」(後略)
- 回答プロセス
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小森又三郎著「最新浦和町案内全図」「浦和古地図集[複製]5」 昭和8年1月発行の地図に、「新開地」記載あり。店名掲載なし。さいたま市立中央図書館所蔵。当館未所蔵。
その他県内の指定地関連資料
「指定地よもやま話」『明治から大正へ 聞書きⅠ 川越市史資料第六集』1971
p47 川越町の指定地誕生から消えてしまうまでの談話をまとめたもの。
『廓清 21(2)』埼玉県廃娼記念号 1931.2.10発行
p35には、「料理店、飲食店、貸席待合、遊船宿、銘酒店営業取締規則」(明治44)、「埼玉県風紀統計」の掲載あり。浦和の項には指定地1、指定地内料理店13、酌婦数30等の数字あり。
『売春婦論考 売笑の沿革と現状』
p276「第6節 埼玉県における売春婦」
本庄、深谷町のみ詳細あり。他については、「本県に公娼の代理をつとめるものがザラにある。芸妓数は娼妓の7倍即ち745人を数える。まだこのほかにある酌婦、(中略)それが1011人、合計1878人。(後略)」とあり。
p73「第2章 統計より観たる我が国売春婦」には、県別に「大正3年~13年までの「十か年巻各府県市郡別一カ年平均娼妓数」「同平均芸妓数」「同平均酌婦数」、「各府県における料理屋待合茶屋並びに芸妓酌婦及び幇間数」個別の調査対象への言及なし。
『埼玉県行政史 3』
p802「(1)売春防止法の施行」には、県内の「小規模な地域(「新地」あるいは「新開地」と呼ばれた)」について、昭和33年の売春防止法施行前後の「埼玉県婦人相談所」設置等埼玉県の対応や、業者の状況についての記述はあるが、各地の状況をあらわす具体的な資料名への言及なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会.家庭生活の習俗 (384 9版)
- 参考資料
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- 『コレクション・モダン都市文化 34 遊廓と売春』(ゆまに書房 2008)
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『浦和総覧』 (京北振興会 1927)
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『浦和市史4 近代史料編』(浦和市 1975)
- 『舊新町名地番対照表 昭和十二年十月一日現在』(浦和市 1937)
- 『新舊町名地番対照表 昭和十二年十月一日現在』(浦和市 1937)
- 『昭和九年版 埼玉県浦和耕地整理組合確定図』(浦和耕地整理組合 1934)
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『埼玉県警察史 1』(埼玉県警察本部 1974)
- 「まだいるカゴの鳥 抱主のタライ廻しも しのんで稼ぐ従業婦 浦和特飲街の場合」 『埼玉新聞 昭和27年8月15日』
-
『大正・昭和史料目録』(浦和市 1982)
- 「消える赤線 ①浦和」『埼玉新聞 昭和33年2月5日』
- 『東京日日新聞女性史関係記事見出し 大正7年分』『同8年分』(埼玉県県民部女性政策課 1991)
- 『浦和町要覧』(竹園馨 1932)
- 『縣南浦和川口総覧』(埼玉県立浦和図書館(製作)1994)
- 『浦和市商工人名鑑 昭和13年版』(浦和市勧業課 1939)
- 『浦和市商工名鑑 昭和25年版』
- 『浦和市商工名鑑 1957』(浦和市商工課 1957)
- 「埼玉県北足立郡職業別案内図(仮称)大正13年3月発行」『蕨市調査報告書 6』(蕨市 1988)
- 「大日本職業別明細図之内 信用案内 埼玉県」(『昭和前期日本商工地図集成Ⅰ』」(東京交通社 1928)
- 『浦和市動態図鑑』(都市動態図刊行協会 1958)
- キーワード
-
- 遊郭-浦和市
- 指定地
- 中ノ原新地
- 花街
- 女性史-埼玉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000097292