レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/12/13
- 登録日時
- 2011/01/19 02:00
- 更新日時
- 2023/08/28 08:55
- 管理番号
- 京資-161
- 質問
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解決
上京区革堂町付近(小川通一条上ル)に、1945年頃まで風呂屋があった。また、同じような場所に1500年頃から風呂屋があったという。その風呂屋について知りたい。
- 回答
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上京区革堂町(小川通一条上ル)付近には、「革堂の風呂」もしくは「一条風呂屋」と呼ばれる風呂屋があった。
風呂屋の詳細については、『京の歴史と文化 4』、『図説上杉本洛中洛外図屏風を見る』、「上京一条小川界隈」(『園田国文』No.20,『京都町共同体成立史の研究』)に記載されている。
- 回答プロセス
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(1)京都府立総合資料館・京都府立図書館の蔵書検索システムで、キーワード「銭湯」を検索したところ、『京の歴史と文化 4』のp.54に「革堂の賑わい」とあった。この資料によると、戦国時代に存在していた風呂として、「山科言継が入浴した風呂の名が『言継卿記(ときつぐきょうき)』に記されており、上京一条烏丸の言継邸付近には、「革堂の風呂、一条の風呂、一条室町の石風呂、正親町(おおぎまち)の風呂、正親町室町の風呂があった」と記述されている。
(2)『京の歴史と文化 4』によると、「上京の一条小川、百万遍と革堂との間にある風呂」として「革堂の風呂」があると記述されている。革堂の風呂での入浴の様子を描いたものに、上杉本『洛中洛外図屏風』があるという。
*百万遍知恩寺は現在、東大路通と今出川通が交差する百万遍交差点の東北にあるが、当時は一条小川付近にあった。また、革堂は行願寺(ぐがんじ)の通称(現在は中京区寺町通竹屋町上ル)で、当時は同じく一条小川付近にあった。
(3)CiNiiで、キーワード「小川」「一条」を検索したところ、五島邦治「上京一条小川界隈」という論文がみつかった。この論文は『京都京都町共同体成立史の研究』に収録されている。
『京都町共同体成立史の研究』p.269に、小川界隈の風呂屋について記載されており、場所は「一条通から北へ・・・浄土宗の百万遍知恩寺、風呂屋を一軒おいて天台宗の革堂行願寺・・・浄土宗の誓願寺」とされる。
同書のp.274にも、一条風呂屋が知恩寺と行願寺の間にあったことが書かれている。
(4)上記(2)と(3)の資料の記述から、呼び方は違うが「革堂の風呂」と「一条風呂屋」は同じ風呂屋であると推定される。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『京の歴史と文化 4』 村井康彦編 講談社 1994.6 p.293 (当館請求記号K1/216.2/Ky5/4)
- 『図説上杉本洛中洛外図屏風を見る』 小沢弘著 川嶋将生著 河出書房新社 1994.10 p.132 (当館請求記号K1/721.4/O97)
- 五島邦治「上京一条小川界隈」 『園田国文』No.20 1999.3 pp.19-29
- 『京都町共同体成立史の研究』 五島邦治著 岩田書院 2004.11 p.269,p.274 (当館請求記号K1/216.2/G69)
- キーワード
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- 革堂
- 小川
- 風呂
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000076752