レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年03月10日
- 登録日時
- 2009/01/25 02:10
- 更新日時
- 2020/12/24 00:30
- 管理番号
- 10-3A-200703-21
- 質問
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解決
幕末期、大阪の薩摩藩邸の近くにあったといわれる「薩万」とよばれた海援隊の屯所の場所の特定をしたい。立証する文献があれば見たい。
- 回答
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残念ながら、お探しの場所を特定できるような文献は見つからず。
『坂本龍馬事典』(新人物往来社)には、下記の記載があった。
「この薩摩藩邸は現在の西区土佐堀二丁目、三井倉庫の地にあり、土佐堀川に面して宏壮な土蔵づくりがつらなる。蔵屋敷と称する点も土佐藩邸と同様であった。すぐ近くに薩摩屋万助、略して「薩万」という宿があった。薩摩藩の定宿だが、龍馬もよく利用し、慶応末年にはついに海援隊大阪事務所の観を呈していた。」
霊山歴史館によると、現在地は確認できないというのが多くの研究者の意見とのことだった。
2009.3 質問者より情報提供あり
その後の調査で、大阪商業大学商業史博物館等からの情報により、薩摩屋半兵衛は土地を大坂に少なくとも3箇所は持っており、
薩摩藩蔵屋敷の上屋敷、中屋敷、下屋敷の近くの所在地であったことが判明したとの連絡を受ける。 (「仁風便覧」)
(大阪商業大学商業史博物館(http://ouc.daishodai.ac.jp/facilities/museum/ 2009.3.16確認)
2020.12 情報提供いただきました
『産経新聞』 2018年7月14日 大阪朝刊 第4社会「【維新150年 大阪の痕跡を歩く】(20)「薩万」跡 」
大阪龍馬会の幹事、長谷(おさたに)吉治さんの案内による記事で、「土佐堀2丁目交差点の北東あたりに三井倉庫大阪支店(大阪市西区土佐堀)がある。(中略) この交差点から南へ約20メートル、北行き車線の右折レーンから西側のコンビニあたりにあったのが、幕末の商家『薩万(さつまん)』。」「当時の水帳(土地台帳、戸籍図)にある「薩摩藩浜屋敷」(上屋敷の南側)と、その西にある「薩州名代(みょうだい)、太原屋万右衛門(たはらやまんえもん)」という屋号に注目。さらに龍馬の妻、お龍(りょう)の口述記録にある「薩摩の花(浜)屋敷の門前にある薩摩屋」「裏二階の下が川」という記述から、当時の江戸堀川に面していた「太原屋万右衛門」を「薩万」と推定したのだった」とあります。
下記サイトでも同記事の内容を見ることができます。
産経新聞 2018.7.21「【維新150年 大阪の痕跡を歩く】坂本龍馬の海援隊が使った"大坂支店″「薩万」跡」
https://www.sankei.com/west/news/180721/wst1807210010-n1.html (2020.12.16確認)
- 回答プロセス
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1.『西区誌』、『市史索引』、『大阪史蹟辞典』、『幕末歴史散歩 京阪神篇』などにあたるが、なし。
2.利用者がお持ちの資料の情報から、「薩万」は薩摩屋という屋号で、人足差入れの稼業を営んでいたよう。
(平井道雄監修『坂本龍馬全集』p554~556)
3.『大阪人物辞典』の“薩摩屋半兵衛”の項、「当時西区江戸堀にあった薩摩藩蔵屋敷の家守を務める…坂本龍馬もかくまわれたことがある。」という記述や、宮本又次著『大阪商人』の薩摩屋半兵衛についての内容から、この可能性を利用者に伝えるが、そうではないとのこと。
薩摩屋の屋号は当時たくさんあったし、「薩万」というからには“薩摩屋万兵衛”など、「薩摩屋万…」だと思うとのこと。
薩摩藩蔵屋敷に関する文献を調べ、関連事項を探る。
4.当館OPAC、Cinii、商用データベース「MAGAZINEPLUS」(日外アソシエーツ雑誌論文情報)、大阪府立中之島図書館の大阪文献データーベースを検索するも出てこない。
5.大阪市史編纂所刊行「大阪市史史料」の『諸事控』『維新期大阪の役務記録』(共に幕末期の史料)を見るも「薩摩屋」「薩万」の名は見つからず。
6.江戸末期~明治中期あたりにかけて刊行された商工名鑑の類(『商人買物独案内』『浪速諸商独案内』『商工技芸浪速の魁』など)なし。
7.鹿児島県の黎明館に問い合わせるが、先方収蔵資料の中に答えとなるものなし。高知の専門博物館などへ問い合わせてはと助言をいただく。
8.京都の霊山歴史館(全国唯一の幕末・明治維新の専門歴史博物館)へ問い合わせ。
『坂本龍馬事典』(新人物往来社)のp278(執筆は先方の元研究員、秋田鉄男氏)を紹介される。
2009.3追加調査
1.「図説坂本竜馬」(戎光祥出版,2005.3)の年表を見ると、慶応3年10月6日の項に、
「大阪着。土佐堀「薩万」に入り、海捜隊士と会う」とあり。
場所は土佐堀とまでしかわからない。
2.「藩史大事典第7巻 九州編」(雄山閣 1988)
p551によると、鹿児島藩(別称薩摩藩)の蔵屋敷の所在地 大坂 上屋敷 土佐堀二丁目 下屋敷 立売堀
3.「大阪袖鑑」(大阪市史編纂所所蔵1835年(天保6)改正を複写製本したもの)
「御蔵屋鋪画図」に“サツマ”の記載あり。
また、一覧の薩州鹿児島の項目には、土佐堀二丁目・江戸堀五丁目・立売堀との記載あり。
鹿児島藩大坂上屋敷が土佐堀二丁目なので、土佐堀「薩万」も、二丁目付近か。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 「坂本竜馬事典」 小西 四郎/[ほか]編 新人物往来社,1988.5 ISBN 4-404-01484-8<当館書誌ID0000228775>
- 産経新聞 2018.7.21「【維新150年 大阪の痕跡を歩く】坂本龍馬の海援隊が使った"大坂支店″「薩万」跡」 https://www.sankei.com/west/news/180721/wst1807210010-n1.html (2020.12.16確認)
- キーワード
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- 薩摩屋
- 薩万
- 海援隊
- 屯所
- 薩摩藩蔵屋敷
- 大阪府大阪市西区
- 照会先
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- 鹿児島県歴史資料センター黎明館 http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/(2009.1.24確認) 、 幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」 http://www.ryozen-museum.or.jp/(2009.1.24確認)
- 寄与者
- 備考
- 「仁風便覧」については、大阪市立中央図書館事例(10-3B-200903-01)参照
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000051108