レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/09/02
- 登録日時
- 2007/04/12 02:11
- 更新日時
- 2007/04/25 10:27
- 管理番号
- 埼浦-2006-237
- 質問
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解決
大宮にある氷川神社周辺が沼であったころの地図を探している。
- 回答
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『新編武蔵風土記稿 7』p117-119「正保年中改訂図」(三沼という名称の沼あり、大宮の氷川神社の記載なし)、p120-122「元禄年中改訂図」(三沼という名称の沼あり、大宮の氷川神社の記載あり)
(江戸時代の「見沼」は「三沼」と表記されていた)。
- 回答プロセス
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江戸時代寛永年中(1624-1643)に見沼溜井ができるまで、現在のさいたま市・川口市には「見沼」「入江沼」「鴻沼」「鴻巻沼」など多数の沼が散在していた。その後見沼溜井は、享保12年に干拓され、見沼たんぼとなった。したがって、沼があったのを確認できるのは、干拓される前にできた地図となる。
関連の資料を調査したが、干拓される前の地図で確認できたのは、『新編武蔵風土記稿 7』p117-119「正保年中改訂図」(三沼という名称の沼あり、大宮の氷川神社の記載なし)、p120-122「元禄年中改訂図」(三沼という名称の沼あり、大宮の氷川神社の記載あり)のみ。江戸時代の「見沼」は「三沼」と表記されていた。
氷川神社周辺が沼であったという記述がある資料。
『武蔵の古社』p27-35、p78-79
『新編埼玉県史 通史編1』p724-725
『大宮市史 2』p137
『見沼たんぼを歩く』p85
『見沼土地改良区史』p27.62
『氷川神社社叢調査報告』p70
『川口市史 通史編上』p499
『関東郡代伊奈氏の研究』p18
『氷川女体神社』p6
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『新編武蔵風土記稿 7』(雄山閣 1996)
- キーワード
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- 氷川神社
- 見沼たんぼ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000034513