レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年09月09日
- 登録日時
- 2011/10/27 18:35
- 更新日時
- 2012/01/31 19:49
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2011-030
- 質問
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解決
安政大地震の内海(南知多町)の被害状況が詳しくのっている史料はありませんか。
- 回答
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『大日本地震史料』(震災予防調査会/編 思文閣出版 1973年)所収の「尾州智多郡内海日比彌兵衞書状、十二月三日出」に被害状況として“當所潰家棟數廿軒許、半潰四拾軒許”などと書かれています。
- 回答プロセス
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(1)まずよく利用する昭和36年までの愛知県の災害の記事とその出典についてまとめられている『愛知県の気象』(名古屋地方気象台/編集 気象協会名古屋支部 1962年)を確認してみると、安政元年の地震・津波の記事はありましたが内海部分の詳しい記述はありませんでした。
(2)『愛知県被害津波史』(愛知県防災会議地震部会/編 愛知県 1981年)には“内海 家屋全壊20軒、同半壊40軒あった。津波の高さが1.2~1.5mあった。”とありますが、その出典は書かれていません。また、『愛知県災害誌』(愛知県総務部消防防災課/編集 愛知県 1970年)には尾張藩の被害表と各地の被害状況の記述があり、内海については“家屋全壊約20軒 〃半壊約40軒。津波の高さ1.2-1.5m、4日夕方までに三度大地震。”とありますが、やはりその出典はわかりません。
(3)『日本被害地震総覧 〈416〉-2001 最新版』(宇佐美竜夫/著 東京大学出版会 2003年)には安政東海地震・安政南海地震の「震度分布」の図とこれらの地震による「被害一覧」に被害数(知行主・場所に死、家、蔵、寺社、城・役所向、堤、堰、船、田畑、道、橋、地変、津波、その他)をまとめた表がありますが、尾張については名古屋城下と領(地)にまとめられているため残念ながら内海部分の詳しい被害状況はわかりません。
(4)江戸時代までの地震の記録を集めた資料が『日本被害地震総覧 〈416〉-2001 最新版』p.3に紹介されていましたので、このうち所蔵しているものについて確認してみます。その結果、『大日本地震史料』(震災予防調査会/編 思文閣出版 1973年)』に「尾州智多郡内海日比彌兵衞書状、十二月三日出」の翻刻があり、『愛知県被害津波史』や『愛知県災害誌』の記述の出典と思われる史料がみつかりました。なお、計21冊からなる『新収日本地震史料』(東京大学地震研究所)では安政元年11月4日、5日、7日(1854年12月23日、24日、26日)の東南海地震は新収史料が多く2冊(計2528頁)にわたるため内容を詳しく確認することはできませんでした。
- 事前調査事項
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『南知多町誌 本文編』(南知多町誌編さん委員会/編集 南知多町 1991年 p.214)については既にご存知でした。
- NDC
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- 地震学 (453 9版)
- 参考資料
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- 『愛知県の気象』 名古屋地方気象台/編集 気象協会名古屋支部 1962年 p.168
- 『愛知県被害津波史』 愛知県防災会議地震部会/編 愛知県 1981年 p.53
- 『愛知県災害誌』 愛知県総務部消防防災課/編集 愛知県 1970年 p.469-470
- 『日本被害地震総覧 〈416〉-2001 最新版』 宇佐美竜夫/著 東京大学出版会 2003年 p.3,151-164
- 『大日本地震史料』 震災予防調査会/編 思文閣出版 1973年 (震災予防調査会報告第46号 p.452)
- 『新収日本地震史料 第5巻 別巻5ノ1』 東京大学地震研究所/編 東京大学地震研究所 1987年
- キーワード
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- 地震
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000093739