レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/11/24
- 登録日時
- 2017/09/19 00:30
- 更新日時
- 2017/09/20 09:41
- 管理番号
- H0042
- 質問
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解決
旭川市が「音楽の街」と呼ばれるようになった理由と時期
- 回答
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昭和20年に旭川師範学校に赴任した新野仁助が卓越した合唱指導でその水準をひきあげ,その教え子たちがそれぞれの学校で抜群の成果をあげた。
昭和28年から33年にかけて,啓明小・北星中・北高校が全国入賞,優勝を果たし,”音楽の街”として名声が喧伝された。
『旭川市史 第5巻』(旭川市 1971) 877-878頁
『旭川戦後文化運動ノート』(旭川叢書第10巻)(谷口 広志/著 旭川市 1976)179頁
『旭川100年の音楽』(旭川叢書第22巻)(達口 孝/著旭川振興公社1996)70-72頁
- 回答プロセス
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・『旭川市史 4巻』索引から,『旭川市史 3巻』に戦前期の「音楽都市旭川」に関する記述あり。
続巻の『旭川市史 5巻』の内容を確認,音楽の街と呼ばれる経緯について記述あり。
・旭川叢書の音楽関係のものを確認,『旭川戦後文化運動ノート』,『旭川100年の音楽』に経緯について記述あり。
・その他に,次のデータベース・資料を確認した。
(内部用)新聞データベース検索。昭和35年段階で「音楽の街」と言われていたようだが,理由等はなし。
(内部用)郷土雑誌記事索引で検索,
「北海道経済」にいくつか音楽の街に関する記事はあるが,理由についての記述なし。
「旭川音楽春秋」第7号・8号に関連記事あるが,理由は明確ではない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 音楽 (760)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000222061