レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年05月31日
- 登録日時
- 2016/12/21 10:21
- 更新日時
- 2018/05/22 13:57
- 管理番号
- 236
- 質問
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解決
第二次世界大戦中のドイツはどのように石油を供給していたのか。
- 回答
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ルーマニアのプロイエスティ油田を主とした輸入および国内産の合成石油が使われていた。
- 回答プロセス
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質問者によると、ドイツは石油の乏しい国で、大戦時は軍用機燃料をどこから調達していたのか疑問だとのこと。
『世界史年表・地図』(亀井高孝ほか/編、吉川弘文館)p.80より、第二次世界大戦が1939~1945年の出来事であることを確認。
書架でドイツの歴史に関する本を探す。
・『ドイツ史 3』(成瀬治ほか/編、山川出版社)p.233~236
「軍需景気拡大による工業原料輸入は激増」
「輸入原燃料節約のための、代用原燃料あるいは国内産原燃料の生産が大きな政治問題として浮上することになった」
「I.G.ファルベン社長カール・クラウホは1933年9月に合成石油生産についての四ヵ年計画を航空省に提出」
「ヒトラーは(1936年)8月に四ヵ年計画の覚書を作成した。覚書が参考にしたのは、(略)クラウホの作成した国内産原燃料諸計画であった」
「覚書は(略)合成石油生産体制の18ヶ月以内の完成(略)などを要求していた」
1933~1936年頃に合成石油の生産計画があったことは分かるが、第二次世界大戦時に利用されていたかは不明。
書架で石油に関する本を探す。
・『石油戦争』(落合信彦/著、集英社)p.42、59
「油の持つ軍事的必要性に気付いたのはドイツだった。しかし(略)ドイツ本国内には油の出る可能性はゼロに等しかった。産油国といえば(略)ドイツの潜在的敵国ばかりだった」
「第一次大戦の(略)連合国側にアメリカという石油のソースがあったのに較べて、ドイツにはそれがなかった。彼らのソースは主としてルーマニアのプロエスティ油田だったが(略)」
第一次世界大戦時はルーマニアのプロエスティ油田が利用されていたか。
書架でルーマニアの歴史に関する本を探す。
・『ルーマニアを知るための60章』(六鹿茂夫/著、明石書店)p.322
「1939年3月、ルーマニアはドイツと通商協定を締結した。(略)ルーマニアに期待したのは、石油供給基地としての役割であって(略)ルーマニア石油産業をナチスが支配する体制が整っていった。ナチスの対ルーマニア石油政策は(略)『略奪的』なものであった」
・『石油の世紀 上』(ダニエル・ヤーギン/著、日本放送出版協会)p.558
「プロイエスティ油田は、ソ連を除くと当時ヨーロッパ最大の石油生産地帯であり、(略)ドイツはプロイエスティ油田に深く依存していた。1940年ドイツの全石油輸入量のうち58%はこの油田からのものだった」
通商協定が1939年、全石油輸入量の調査が1940年で、第二次世界大戦時もプロエスティ油田が利用されていたと思われる。
・『石油の世紀 上』p.550~556
「石炭から合成石油を作り出そうという先駆的な試みは第一次大戦前からドイツで始まっていた。(略)外国への石油依存が危険であり、ドイツ自身の石油生産を拡大しなければならない」
「I.G.ファルベンは、ナチスの理念のもとで合成石油の生産を進めていった」
「1940年までに合成石油の生産は急増し、日産七万二〇〇〇バレルに達した。これはドイツにおける石油の全供給量の46%にのぼっていた。軍事面に限れば、合成石油の成功は一層明らかだった。航空用ガソリンの実に95%が、水素添加法によって生産されていた。合成石油がなければ、空軍が力を発揮することはできなかっただろう」
第二次世界大戦時も合成石油が利用されていたことが分かる。
以上より、当時のドイツの石油供給元はルーマニア・プロイエスティ油田からの輸入と合成石油と思われる。
- 事前調査事項
- NDC
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- ドイツ.中欧 (234 8版)
- 政治.経済.社会.文化事情 (302 8版)
- 石油 (568 8版)
- 参考資料
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- 石油の世紀
- ドイツ史
- ルーマニアを知るための60章
- キーワード
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- 合成石油
- 油田
- ドイツ
- 第二次世界大戦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000204021