レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/09/30
- 登録日時
- 2014/04/12 00:30
- 更新日時
- 2015/05/08 00:30
- 管理番号
- 6001001244
- 質問
-
未解決
大阪府内(南河内エリア)の明治期より昭和20年までの市町村吏員についての情報を探しています。具体的には町村長名、助役名、収入役名の記載されたもの。町村長名のみ記載、助役収入役の記載ありの情報もしくは書籍がありましたらお知らせください。
- 回答
-
(【】内は、大阪府立図書館請求記号)
「南河内エリア」ということでしたので、千早赤阪村、美原町、富田林市、藤井寺市、羽曳野市、河南町、太子町、河内長野市について調査しました。
また、市町村長につきましては大正12年、昭和18年、昭和20年の各年、
助役、収入役につきましては明治26年、29年、30年、34年-38年、明治41年-昭和20年の範囲で調べました。
『職員録』の大正12年10月現在、昭和18年7月1日現在には町村長名はありませんでした。
(昭和20年版は大阪府立図書館には所蔵がないので確認できません。)
また、助役・収入役につきまして同じく『職員録』の明治36年5月1日現在乙、明治37年 乙、明治38年 乙を調査しましたが、助役・収入役名はありませんでした。
以下、それぞれの市町村史を調査しました。 (【 】内は大阪府立図書館の請求記号です。)
それぞれの市町村の変遷は『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1983.10)【291.03/2N/27】を調査しました。
<千早赤阪村>
明治22年~昭和31年まで千早村、赤坂村の2村でした。
『千早赤阪村誌 本文編』 千早赤阪村史編さん委員会編集 千早赤阪村役場 1980【328/635/#】
p.655-658 千早村、赤坂村、千早赤阪村の歴代村長の名簿があります。助役、収入役の名前はわかりませんでした。
<美原町>
明治22年~昭和31年まで平尾村、黒山村、丹南村の3村でした。
うち、わかったのは平尾村の昭和18年時点の村長のみです。
平尾村 昭和18年11月30日時点 永田善雄
『美原町史 第4巻 史料編3 近世近現代』(美原町史編纂委員会編集 美原町 1993)【216.3/54N/4(2)】
p.739-740「笠田伝染病院組合の改組 昭和18年11月30日」に村長名がありました。
大正12年、昭和20年の文書は『美原町史』に掲載がなく調査できませんでした。ただ、当館には『美原町史』の索引巻の所蔵がないため、各巻の目次から時代の見当をつけて探すことしかできません。そのため、見落としがないとは言い切れないことをご了承ください。
<富田林市>
明治22年~明治29年 富田林村
明治29年~昭和25年 富田林町
昭和25年~現在 富田林市
『富田林市誌』(藤田規一編纂 富田林市役所 1955)【291.63/113N】
p.276-279に「歴代市町村郡長及府国会議員一覧表」があり、明治22年から昭和20年までの歴代市町村郡長名がわかります。(※p.280は昭和25年4月市政実施後の第1代市長、第2代市長名があります。)
『同』p.282に、昭和17年の横谷亀重市長就任時の助役(辻野重太郎)、収入役(橋本清市)の名前があります。
『富田林市史 第3巻 本文編 3』(富田林市史編集委員会編集 富田林市総務部総務課 2004.3)【328/527/#】
p.153 表26「村吏の氏名および給料(明治30年)」に各村の村長、助役、収入役の名前があります。
ただし、「(注)『明治三十年大阪府南河内郡役所統計書』より作成」とあります。 この表には、のちの昭和17年に富田林町に合併することとなる村の村長、名誉職助役、有給助役、収入役の名前も出ています。元となった『大阪府南河内郡役所統計書』は、大阪府立図書館にはいずれの年も所蔵がありません。
p.337 「大正15年(1926)12月、富田林町では杉田善作町長が病気のために辞任し、助役の北野忠治が第6代町長に就任した。」
助役につきましては、上記以外の年での記述を見つけられませんでした。
<藤井寺市>
江戸期~明治22年 藤井寺村
明治29年~昭和3年 藤井寺村
昭和3年~34年 藤井寺町
昭和41年~現在 藤井寺市
『藤井寺市史』第1巻-第10巻・各説編・補遺編(藤井寺市史編さん委員会編集 藤井寺市)からは該当年の町長、助役、収入役はわかりませんでしたが、
『第2巻 通史編 3』(1998.3)【216.3/7N/2(3)】
p.455に、昭和19年当時の藤井寺町長が堀端重太郎であったことが書かれています。
<羽曳野市>
明治22年以降、羽曳野市域に含まれた村は古市、西浦、駒ヶ谷、高鷲、埴生、丹比です。(『羽曳野市史 第2巻 本文編 2』(羽曳野市史編纂委員会編集 羽曳野市 1998.3)p.617【216.3/132N/2(3)】
うち村史の所蔵があるのは西浦村のみです。
西浦村(明治22年~昭和31年)(昭和31年南大阪町の一部となる。南大阪町は昭和34年に改称して市制施行、羽曳野市となる)
『西浦村誌』(杉田正一執筆 大阪府南河内郡西浦村 1957)【291.63/100N】
p.113-119 「第5章 人物誌 1.町村制発布後の歴代村長と功業」
p.113-114(途中)に明治22年から昭和31年までの村長名、p.114(途中)-119に歴代村長の略歴があります。
うち、大正2年5月30日~昭和3年3月22日に村長だった阪口幸治郎氏は、明治22年7月~明治26年6月に西浦村収入役、明治26年6月~明治28年2月に名誉助役にも就任しています。
他の村長の略歴をみても村長就任前に助役・収入役をつとめていることがあります。
古市町(大正5年~昭和31年。同年南大阪町の一部となる。)につきましては、
『古市町米騒動裁判資料(羽曳野資料叢書)』(山中永之佑編 羽曳野市 1993)【210.69/12N】
p.xii-xiii 「上田安太郎 …(中略)… 昭和20年3月26日から同21年10月5日まで古市町長となった。」という記述が見つかりました。
<河南町>
昭和31年~現在の南河内郡の自治体名。白木・石川・河内・中の4か村が合併して成立。
白木村 明治22年~昭和31年の自治体名。
4か村のうち、白木村については当館に資料があります。
『白木村誌』(白木村誌編纂委員会著 大阪府南河内郡河南町教育委員会事務局 1957)【291.63/153N】
p.150-154「明治時代の白木村の行政を担当した人々」中に、
p.150-151 村長・助役・収入役氏名(明治22-大正5)
p.223-227「大正時代白木村の政治を担当した人々」中に、
p.223-224 村長・助役・収入役氏名(明治41-昭和12年)があります。
※明治・大正とも収入役の任期は記載がありません。
<太子町>
太子村 江戸期~明治22年の村名。明治に入り堺県を経て,同14年大阪府に所属。同22年磯長村の大字となる。
太子 明治22年~現在の大字名。はじめ磯長村、昭和31年からは太子町の大字。
太子町 昭和31年~現在の南河内郡の自治体名。山田・磯長の2か村が合併して成立。
『太子町誌』(岩井好一[ほか]編集 太子町役場 1968)【378/555/#】
p.292-293 の間の見開き図に磯長村、山田村の歴代村長氏名と写真があります。ただし、任期の年の記載はありません。
p.322-327 明治22年から昭和30年の磯長村の村長歴、助役歴、収入役歴があります。山田村については村会議員の名簿はありますが、磯長村のような村長歴、助役歴、収入役歴の一覧はありませんでした。
<河内長野市>
長野村 明治22年~明治43年の自治体名。
長野町 明治43年~昭和29年の南河内郡の自治体名。
河内長野市 昭和29年~現在の自治体名。長野町、三日市村、加賀田村、天見村、川上村、高向村が合併して成立。
『河内長野市史 第3巻 本文編 近現代』(河内長野市史編修委員会編集 河内長野市 2004.9)【216.3/164N/3(2)】
p.240-241 表Ⅱ-3 「明治30年頃村吏の氏名及び給与」に各村の村長、助役、収入役の名前があります。
この表も、「(注)『大阪府南河内郡役所統計書』明30年度(国立国会図書館蔵)により作成」とあります。
p.623 昭和15年の長野町長、助役、収入役の氏名があります。
p.811 「加賀田村の村長峯楳太郎は、敗戦直後の昭和20年(1945)8月17日に辞任したが、後任の上野藤一郎も村会の選挙により、村長となった。」
p.813 「橋上義雄長野町長や田中真吾川上村長らが、21年11月に退職している。」
高向村に関する資料は当館に所蔵がありませんでした。
『川上村史』(中野吉信著 川上村史編纂委員会 1954)【291.63/104N】
p.32 歴代村長(明治22年~昭和24年)
p.31には、昭和24年9月22日からの村長 竹鼻眞作のときの助役(和田良一)、収入役(帶屋康治)の氏名があります。
『河内長野市三日市小学校百年のあゆみ』(中野吉信著 三日市小学校創立百周年記念事業委員会 1973)【198.9/69/#】
p.10「…明治末期本村(注:三日市村)助役であった喜多村の谷賀清太郎氏…」とあります。
p.364「戸長・村長・市長」に、明治22年から昭和29年の三日市村村長の任期付き名簿があります。
『天見小学校教育八十五年史】(中野吉信著 河内長野市立天見小学校 1956)
p.173「創立以来の学校管理者と関係者」に村長名として10名の氏名(明記されていませんがおそらく歴代)があります。
また、『大阪府職員録』(大阪府総務部人事課編集 大阪府庁)【354.6/65/#】に、「町村長」の項目があり、南河内郡の各町村長の氏名があります。助役、収入役は記載がありません。町村長をおさがしの大正12年につきましては、『大阪府職員録 大正12年12月10日現在』でわかります。ただ昭和18年、昭和20年につきましては、大阪府立図書館にこの年の『大阪府職員録』の所蔵がありません。
[事例作成日:平成26年3月27日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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近代デジタルライブラリー及び大阪公文書館
- NDC
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- 地方自治.地方行政 (318 8版)
- 参考資料
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- 職員録 大正12年10月現在
- 職員録 昭和18年7月1日現在
- 職員録 明治36年5月1日現在乙
- 職員録 明治37年 乙
- 職員録 明治38年 乙
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,地名・地域,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000152070