資料1には、「敗戦後の天文界で最初に明るい話題を投じたのは1946年11月13日の本田彗星の発見である。本田実氏がからす座に発見したのは光度9等の彗星であった。占領下の日本でGHQ(連合司令部)経済科学局ヘンショウ博士の援助でいちはやくアメリカのハーバード天文台に通報され、世界にさきがけた発見であることが確認された。」とある。資料2には「昭和22年(1947)年11月14日の夜明けまえ、南の空の烏座のα星の近くに9等級の光を放つすい星を発見しました。よく朝、もう一度確かめてから東京天文台に報告しました。戦争が終わったばかりなので、国際的な報告には手つづきが難しかったのですが、多くの人びとの好意あるはからいで、国際天文連盟に報告することができました。その間も、先生は毎日、南の空のすい星を観測し、4日間スケッチをつづけました。そのスケッチをもとに、東京天文台が軌道の計算をして、南半球にある各国天文台に連絡をしてくれたのです。その結果、アフリカのヨハネスブルグにあるユニオン天文台のジョンソンという人が、26日にこの新すい星の写真さつ影に成功し、「本田すい星」の発見がみとめられました。戦争に負け、暗い気持ちにつつまれた毎日をおくる日本人にとって、この本田すい星発見のニュースは明るい希望と勇気をあたえてくれるものでした。」とある。