レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1999/04/15
- 登録日時
- 2011/01/27 02:00
- 更新日時
- 2018/03/22 16:09
- 管理番号
- 長野市立長野-99-009
- 質問
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解決
昭和30年頃、信濃毎日新聞主催の県山岳登山において、ギャチュン・カンで遭難したことについて知りたい。
- 回答
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「ギャチュン・カン(Gyachung Kang 七九二二メートル) 初登頂 昭和三十九年四月十日、全日本山岳連盟登山隊(古原和美隊長)の加藤幸彦、堺沢清人とパサンが初登頂。翌日は町田和信、安久一成が登頂した。しかしこのとき、大滝明夫はついに帰らなかった。」
とありました。
【追記:2018年3月7日】
信毎データベースにて「ギャチュン・カン」と検索すると、昭和38年から40年にかけて関連記事が数多くヒットします。
「ギャチュン・カンめざして」という連載が1964(昭和39)2月16日(日)~5月25日(月)にかけて夕刊に掲載されており、
なかでも1964(昭和39)年5月3日(日)、5月4日(月)、5月6日(水)夕刊1面には「遭難(上)・(中)・(下)」という連載でした。
また、ギャチュン・カン登頂をした町田和信さんが書いた『ギャチュン・カン日記』という資料がありました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 戸外レクリエーション (786)
- 参考資料
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- 『長野県スポーツ史』信濃毎日新聞社/編 信濃毎日新聞社 1979 <N780ナ> (p248)
- 『ギャチュン・カン日記』町田 和信/著 〔日本オーバーザシー出版会〕 1971.08 <786マ>
- キーワード
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- 長野県
- ヒマラヤ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000077194