レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年05月10日
- 登録日時
- 2019/08/21 15:00
- 更新日時
- 2019/08/21 16:01
- 管理番号
- 千県中参考-2019-05
- 質問
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解決
日本がワシントン条約(1921年)、ロンドン条約(1930年)を脱退した理由を知りたい。
なぜ脱退したのか、理由を詳しく書いてある本が欲しい。
- 回答
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両条約の脱退理由について記載のあった資料は以下のとおり。
○公的な資料
【資料1】『大本営海軍部・聯合艦隊 1』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1975)
p278-288「第4章 1 海軍軍縮条約からの離脱」
第二次ロンドン会議検討段階から脱退後までの経過を、当時の関係者の言葉を引用しながら解説している。
【資料2】『海軍軍戦備 1』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1969)
p464-466「ワシントン條約の廃棄通告」
ロンドン条約批准後からワシントン条約・ロンドン条約失効に至るまでの経過が記されている。また、ワシントン条約廃棄通告を決定するに際し開催された元帥会議において、嶋田繁太郎軍令第一部長の述べた内容(ワシントン条約から脱却する動機)が掲載されている。
○その他
【資料3】『日本海軍史の研究』(海軍史研究会編 吉川弘文館 2014)
p61-88 太田久元「「海軍軍縮条約体制」からの脱却過程」
ジュネーブ一般軍縮会議から第二次ロンドン海軍軍縮会議脱退までの日本の政策決定過程に焦点を当てている。ロンドン条約の批准後に軍令部の権力が強くなり、政策の強硬化が行われたことなどが解説されている。
※編者の海軍史研究会は、昭和60年前後に資料調査会海軍文庫の利用者から発足した研究会であり、雑誌『海軍史研究』の発行者である。
【資料4】『日本海軍史 第4巻』(海軍歴史保存会編集 第一法規出版 1995)
p10-11「第二次ロンドン会議予備交渉とワシントン条約の廃止通告」
【資料2】と同様に、嶋田繁太郎軍令第一部長が述べた内容が掲載されている。
※編集者の海軍歴史保存会は、昭和60年に発足し、海軍の歴史に関し調査研究を行うとともに、日本海軍の歴史資料を収集保存することを目的として事業を進めてきた、防衛庁所管の財団法人である。
- 回答プロセス
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始めに「ワシントン条約」「ロンドン条約」の基本的な情報を『国史大辞典 14 や-わ』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1993)で調べ、「ロンドン海軍軍縮会議」のキーワードを得た。
当館蔵書検索で全項目キーワード「ロンドン会議」で検索し、ヒットした【資料3】の内容を確認した。また、書架をブラウジングして【資料1】、【資料2】、【資料4】の内容を確認した。
以下の資料も確認したが、詳しい情報は掲載されていなかった。
筑土龍男「ロンドン軍縮条約」(『世界の艦船』 通巻378号 1987.4)p74-79
『昭和史講義』(筒井清志編 筑摩書房 2015)
伊東浜五郎「「ロンドン海軍軍縮条約問題」が国内にもたらした影響」(『治安フォーラム』 16巻7号 2010.7)p30-39
『日本外交史 第16巻』(鹿島平和研究所編 1973)
『日本近代史の再構築』(伊藤隆編 山川出版社 1993)中央所蔵
『北一輝の「革命」と「アジア」』(萩原稔著 ミネルヴァ書店 2011)
- 事前調査事項
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ワシントン条約・ロンドン条約は第一次世界大戦後、各国の海軍の戦艦などの割合を決めたもの。
ロンドンの時に日本は7割を目指したが、達成されなかった。その後日本は国際連盟を脱退した。
軍人の伝記(井上成美、山本五十六、堀悌吉)などは確認済み。
- NDC
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- 戦争.戦略.戦術 (391 9版)
- 海軍 (397 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『大本営海軍部・聯合艦隊 1』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社1975)(9101993272)
- 【資料2】『海軍軍戦備 1』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1969)(9101992687)
- 【資料3】『日本海軍史の研究』(海軍史研究会編 吉川弘文館 2014)(2102674666)
- 【資料4】『日本海軍史 第4巻』(海軍歴史保存会編集 第一法規出版 1995)(0105040736)
- キーワード
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- ロンドン海軍軍縮条約(ロンドンカイグングンシュクジョウヤク)
- ロンドン会議(ロンドンカイギ)
- ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンカイグングンシュクジョウヤク)
- 日本-海軍(ニホン-カイグン)
- 日本-対外関係-歴史(ニホン-タイガイカンケイ-レキシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000260352