レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年08月15日
- 登録日時
- 2008/08/15 10:16
- 更新日時
- 2018/03/07 17:01
- 管理番号
- 8780
- 質問
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解決
太平洋戦争末期に建設された屋島飛行場について記述のある資料を知りたい。
- 回答
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1 「高松百年史 上」(高松百年史編集室/編 高松市 1988年発行)
681頁に次の記述がある。
「高松市では高松町百石町辺りに屋島飛行場を・・・」
2 「道路グラフィティ-観光道路はこうして作られた-土木技術の変遷」
(国土交通省四国地方整備局香川工事事務所/〔編〕 国土交通省四国地方整備局香川工事事務所
2001年発行)
45頁に次の記述がある。
「戦争末期にこの当たりの道路を広げて、緊急用の飛行場にしたと記録が残っている。」
3 「牟礼町史」(牟礼町史編集委員会/編 牟礼町 1993年発行)
564頁に次の記述ある。
「大正九年(1920)四月の道路法の施行によって、この道路が国道二二号となった。その後観光道路の名称で
旧一一号線が中新町から屋島の馬場先を経て白羽神社馬場先近くまで新設された(太平洋戦争末期には、
高松町から春日町にかけては飛行場の滑走路として使用するため沿線の民家は疎開し、橋の欄干も切り取られた)。
4 「高松空襲戦災誌」(高松空襲戦災誌編集室/編 高松市役所 1983年発行)
68頁に次のような記述ある。
・屋島飛行場は、飛行機を秘匿している屋島神社参道の西側の畑を整地拡張した。
・参道を出た付近の観光道路を約千メートルにわたって拡張して、戦闘機が離着陸できるようにした。
・本土決戦の際、特攻機の中継離着場になるとともに、参道に秘匿疎開した飛行機を、高松飛行場まで
運ぶことなく、直ちにここから発進できるようにしたと思われる。
・作業は、昭和20年春ごろから開始された。
・米軍の高松爆撃計画には、指定番号2602標的としてキライ・エアフィールド(キライは帰来で付近の地名)と
明示されていた。
・使用しないまま終戦となった。
5 「昭和20年空襲前米軍撮影空中写真 41 3PR5M246 1V 5-28 F-153 1 35000 高松市林町付近
-昭和20年5月28日撮影」(日本地図センター 2007年発行)
この資料により、1~4の資料に記述のある場所をほぼ確認できる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218 8版)
- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 屋島飛行場
- キライ・エアフィールド
- 香川県
- 飛行場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000046584