レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年02月17日
- 登録日時
- 2017/05/02 11:40
- 更新日時
- 2017/05/28 10:40
- 管理番号
- 相市-H28-41
- 質問
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解決
津久井における修験道本山派の寺院の数、寺院名を知りたい。
『城山町史』では7寺、『津久井町史』では8寺となっているが、資料によって数が違うのはなぜか。
また、津久井県に泉蔵坊(院)という寺院があったが、現存する同じ名前の寺院がその流れを受け継いでいるのかわかる資料はあるか。
- 回答
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回答プロセスのとおり資料を提供した。
- 回答プロセス
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■津久井における修験道本山派の寺院の数、寺院名について
城山町史、津久井町史の引用元とされる資料を確認。
『新編相模国風土記稿 第5巻』蘆田 伊人/校訂 圭室 文雄/補訂 雄山閣出版 1998【K0-29 S17169988】
p341 善乘寺
p345 正明寺
p382 眞藏院
p387 圓通院
p394 泉乘院
p399 賢太郎坊
p405 淨光坊
上記7寺は、質問者も既に把握していた。
『津久井町史』において8寺とされているため、残り1つの寺が知りたいとのこと。
しかし、引用元とされる『新編相模国風土記稿 第5巻』には7寺しか掲載されていないため、市立博物館の市史編纂担当に確認。
⇒ 津久井町史は『新編相模国風土記稿』の「雄山閣版」ではなく、「国立公文書館内閣文庫所蔵本」を引用している。
「国立公文書館内閣文庫所蔵本」には「三明院」についても記載されているため、これが8寺目である。
各社から出版されている風土記は記述がまちまちで、記述違いが多々ある。
また、この内容を解説したものが
『津久井町史 資料編 近世1』津久井町史編集委員会/編 津久井町 2004【K1-21津久井 S22876635】
で、p243,248に三明院の記載と解説あり。
■泉蔵坊について
『津久井郡文化財 寺院編』津久井郡文化財調査研究会/編 新津久井地域広域市町村圏計画推進協議会 1986【K1-06津久井 S07211824】
p24 「大蔵寺」の項目に、かつて“泉蔵寺”と呼ばれていたことなどの記載あり。
『小田原市史 通史編 原始・古代・中世』小田原市企画部市史編さん室/編 小田原市 1998【K8-21小田原 S15133721】
p743 「不法な働き」により山崎泉蔵坊が武州南方年行事職を追われた旨の記述あり。当時の山伏たちの置かれた状況の説明も詳しい。
各地に点在する「泉蔵坊(院)」の現在の宗旨は大まかに調べることはできるが、北条氏に追われた泉蔵坊との繋がりを調べることができる資料は見つからなかった。
「不法な働き」により立場を終われた泉蔵坊の、それ以降の動きがわかる資料を探したが、次の資料を除いて見つからなかった。
『若王子文書』(国立公文書館所蔵)
この資料に「天文16年4月4日に、泉蔵坊による不法な働きがあり、年行事職が補任された」旨の記述がある。
※【】内は自館の請求記号と資料コードです。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
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『新編相模国風土記稿 第5巻』蘆田 伊人/校訂 圭室 文雄/補訂 雄山閣出版 1998
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002782450-00 -
『津久井町史 資料編 近世1』津久井町史編集委員会/編 津久井町 2004
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007427363-00 -
『津久井郡文化財 寺院編』津久井郡文化財調査研究会/編 新津久井地域広域市町村圏計画推進協議会 1986
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003634040-00 -
『小田原市史 通史編 原始・古代・中世』小田原市企画部市史編さん室/編 小田原市 1998
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002698769-00
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『新編相模国風土記稿 第5巻』蘆田 伊人/校訂 圭室 文雄/補訂 雄山閣出版 1998
- キーワード
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- 修験道本山派寺院
- 三明院
- 泉蔵坊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000215558