レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/12/25
- 登録日時
- 2017/12/26 00:30
- 更新日時
- 2017/12/26 10:56
- 管理番号
- 1000000928
- 質問
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解決
1945年8月15日(終戦の日)、沖縄の人が玉音放送をどのように聴いたかを知りたい。
- 回答
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当時の沖縄の住民は、収容所に入るか、または投降しないで潜伏するかだったので、天皇陛下の玉音放送を直接ラジオで聞くことは難しかった。(参考資料①~⑤)
1945年8月15日に、沖縄人諮詢会の発足のため収容所の各地区住民代表が石川市(現うるま市)に召集された。(参考資料①~③、⑤)
その際に、志喜屋孝信と当山正堅、具志川幸善が代表して、軍政本部で玉音放送を聴いたが、雑音などで殆ど聞き取れなかった。
また、新聞記者の上地一史は、今帰仁のマリン第六師団本部で玉音放送を聞かされてニュースを書き、米軍はそれをビラに刷って山の中の住民や友軍にまいた。(参考資料④)
参考資料:
①
『沖縄民政府』(嘉陽 安春∥著、久米書房、1986.12)
p10-13 「一九四五年八月十五日 住民代表会議を開く」の項目で、p11 「かくて、一九四五年八月十五日正午、終戦詔書の「玉音放送」によって、わが国は日本降伏の事実を知ったのですが、この時既にアメリカ軍の占領下にあった沖縄では、この日、軍政府の諮詢機関として「沖縄諮詢会」を設立するための各地区住民代表の会議が石川市に招集されており、わが沖縄県民は、この歴史的会議の席で、軍政副長官・ムーレー大佐から、日本の降伏を告げ知らされたのであります。」の記述がある。
p14-17 「新しき出発」の項目で、「本朝の報道によれば正午天皇が放送する。ラジオはここにはないから皆様に内容を知らせることが出来ない。しかし本部で内容を聞き、出来るだけ知らせることにする。…なおまた、ムーレー大佐の演説では、「ここにはラジオがないから、軍の方で聞いて知らせる」とありましたが、実際には、志喜屋議長と当山幹事が、ひるの休憩中、栄野比の軍政本部で、軍政府の幹部と共に天皇の放送を聞かれたのであります。」の記述がある。
②
『沖縄の証言 上』(沖縄タイムス社∥編・刊、1971.5)
p43-54 「運命の八月十五日」の項目で、p45「正午の休みがくると、議長の志喜屋孝信氏、書記の当山正堅と具志川幸善氏(のち神原中学校長)が一同を代表して軍政本部へ行き、天皇陛下の「たえ難きをたえ、万世のために太平を開かむ…」という玉音放送を聞いた。会場にもどった志喜屋氏らは、「たしかに天皇陛下の放送だったが、よく聞きとれなかった」と報告した。石川会議の通訳をした丸本正二中尉(日系二世)によると「会議の日と、終戦の日が重なったのは全くの偶然、玉音放送は雑音がはいって聞きとれず、最初の”君が代”のメロディーだけがはっきりしていた。」
p46「そのころ、沖縄北部の山岳地帯には、まだ多くの避難民が飢餓戦線をさまよい…収容所間の住民の往来を堅く禁じ…住民は新聞もラジオももたなかった。…だから終戦のニュースも、会議のため石川に集まった一部の人たちの範囲にとどまった」
p46-47「米軍は八月十五日のニュースを、住民と残存日本将兵に伝えようと試みはした。玉音放送をビラに印刷して飛行機からバラまいたのである。米軍将校は上地[一史]、比嘉[良吉]両氏をジープにのせ…マリン第六師団司令部へ…つっ走った。…司令部で、上地記者が玉音放送を筆記させられ、その原稿を比嘉氏がボールペンで白紙に清書した。」
③
『政治の舞台裏 沖縄戦後史』(当山 正喜∥著、沖縄あき書房、1987.5)
p305-307 「灰燼の中から」の項目で、p305 「この八月十五日、米軍は沖縄本島の十六の収容所から百二十四人を美里村字石川(現在の石川市)に集めた。」の記述がある。
p307-309 「仮沖縄諮詢会」の項目で、p308 「仲村兼信は「あの時はじめて日本が完全に負けたことを知った。それで正午の玉音放送を当山幹事が聞きに行き、午後の会議で全員に報告していた」という。」の記述がある。
④
『沖縄から琉球へ 第1部』(仲宗根 源和∥著、評論社、1955.5)
p79-81 「三月以来の苦難の跡」の項目で、p80 「石川で八月一五日の会議が開かれている頃田井等の上地一史君は今帰仁のマリン第六師団本部につれて行かれ、終戦の玉音放送をきかされた。そのニュースを新聞記者として書かされ、米軍はそれをビラに刷って飛行機で山の中の住民や友軍にまいた。」の記述がある。
⑤
『わたしの戦後秘話』(比嘉 善雄∥著、琉球文教図書、1978.11)
p157 「この諮問機関設置の説明を聞く会議の途中で、当山正堅氏が指名されて栄野比にあったアメリカ軍の通信部隊に連れて行かれた。彼は、そこで天皇の終戦の詔勅の放送を聞かされたのである。「日本は降伏した」と、会議の席に戻って来た彼は報告した。彼は「はっきりは聞きとれなかったが、天皇陛下の玉音放送で、日本が降服したということは確かである」と言った。一瞬、ざわめいたが聞いている人たちの間に、激昻して混乱するというような事態は起らなかった。」の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 沖縄民政府 嘉陽 安春∥著 久米書房 1986.12 K312/KA98 p10-17
- 2 沖縄の証言 上 沖縄タイムス社∥編 沖縄タイムス社 1971.5 K207/O52/1 p43-54
- 3 政治の舞台裏 当山 正喜∥著 沖縄あき書房 1987.5 K312/TO79 p305-309
- 4 沖縄から琉球へ 第1部 仲宗根 源和∥著 評論社 1955.5 K312/N42/1 p79-81
- 5 わたしの戦後秘話 比嘉 善雄∥著 琉球文教図書 1978.11 K289/H55 p157
- キーワード
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- 沖縄
- 第二次世界大戦
- 玉音放送
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000227576