レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年06月22日
- 登録日時
- 2016/12/21 16:26
- 更新日時
- 2017/03/15 13:22
- 管理番号
- 埼久-2016-085
- 質問
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未解決
ヨーロッパ、北アフリカの人口の歴史的推移がわかる本が見たい。都市ごとに中世から分かるものがほしい。
- 回答
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中世の人口が都市ごとに一覧になっている資料は見当たらなかった。参考に中世の人口に関する記述のある資料を紹介した。
『図説都市の世界史 2 中世』(レオナルド・ベネーヴォロ著 佐野敬彦訳 相模書房 1983)
p78-79 13世紀、14世紀の都市人口について「人口が最も多かった都市-ミラノとパリ-はおそらく20万人(後略)」など各都市について記述あり。
『環境と文明 環境経済論への道』(湯浅赳男著 新評論 1993)
p214、p234 1000年-1300年にかけて、50年毎の西ヨーロッパの人口推移あり。
p271-272 1340年-1900年にかけて、およそ100年毎のイングランドの人口推移あり。
『人口の世界史』(マッシモ・リヴィ-バッチ著 東洋経済新報社 2014)
p31 表1.3「大陸別人口:紀元前400年から西暦2000年まで」あり。
出典は「J.N.Biraben,"Essai sur l'Evolution du Nombre des Hommes,"Population 34(1979)」
各地域の人口推移について論じている箇所複数あり。
『続 人口でみる世界』(大友篤著 古今書院 2006)
p4 B.C.400年からの大陸別総人口の推移表あり。
『人口と歴史』(E.A.リグリィ著 速水融訳 筑摩書房 1982)
p69-118 「前工業化時代の人口変動」の章に、人口の増減について記述あり。
p88 「イングランドとウェールズにおける長期(1000-1800)人口趨勢の図あり。
『世界の人口』(河野稠果著 東京大学出版会 2000)
p6 図2「紀元前4万年以降の人口変動」、p7 図3「紀元前1600年以降の人口変動」として世界全体のグラフあり。具体的数値の記載はなし。
p8「3 古代・中世の人口増加」の項あり。
図4「11世紀から19世紀までのイギリス人口の推移」のグラフあり。
『ヨーロッパ文化 その形成と空間構造』(T.G.ジョーダン著 大明堂 1989)
p172-210 「第6章 人口」の章に、中世ヨーロッパの人口について記述あり。「表6-1 ヨーロッパの推定人口と地域別人口比率」として1-1985年のウラル山脈以西の地域における人口の表あり。
『新「人口論」』(ジョエル・E・コーエン著 農文協 1998)
p56 図3-1「エジプトの推定人口(紀元前664年から紀元1996年まで)」として250年おきの大まかなグラフあり。出典「Hollingsworth(1969,p.311,図5)」
『ヨーロッパⅡ 中世』(ノーマン・デイヴィス著 共同通信社 2000)
p188「都市国家フィレンツェは、(中略)十三世紀には、おそらく人口一〇万を数える共同体へと成長をとげていた。」
『西洋中世史研究入門 増補改訂版』(佐藤彰一編 池上俊一編 名古屋 名古屋大学出版会 2005)
p71 「フランスの人口は西暦1000年の600万程度から順調に伸びた1328年の2,100万をへて、1439年には1,900万に減少,イタリアでは西暦1000年の500万から1439年に930万に推移したというが,これらも最終的に決着した数字とは言い難い。」
『人類5万年文明の興亡 なぜ西洋が世界を支配しているのか 上』(イアン・モリス著 北川知子訳 筑摩書房 2014)
p177「紀元前一世紀のローマの人口は100万人」とあり。
『人類5万年文明の興亡 なぜ西洋が世界を支配しているのか 下』(イアン・モリス著 北川知子訳 筑摩書房 2014)
p139「コンスタンティノープルは一四五三年オスマン帝国によって陥落、人口は五万人に減少していたが、ふたたび大帝国の首都となるや増加していた。一六〇〇年には四〇万人に増え」とあり。
『人口大事典』(日本人口学会編 培風館 2002)
p13-17「中世の世界人口」の項あり。
『中世の日常生活』(ハンス・ヴェルナー・ゲッツ著 中央公論社 1989)
p20-「中世の〈人口〉を知るには、信頼するに足るデータが不足している」とあり。中世後期ではフランスの戸籍台帳(1328年)が手がかりを与えてくれるとし、台帳について記述あり。
『中世ヨーロッパ都市と市民文化 歴史学叢書』(フリッツ・レーリヒ著 魚住昌良共訳 創文社 1978)
p96-105 中世後期のヨーロッパの人口について記述あり。
『ペスト大流行 ヨーロッパ中世の崩壊』(村上陽一郎著 岩波書店 1983)
p122-132 「表1 モーゼル地方の人口変化」として800-1237年の大まかな人口の表あり。またヨーロッパ主要都市のペストによる死者数あり。
《CiNii Articles》酒田利夫著「中世ロンドンの人口と経済」(「三田学会雑誌 91-2」慶應義塾経済学会 1998)(http://ci.nii.ac.jp/naid/120005435781 国立情報学研究所)
「13世紀に著しい発展を示したロンドンは、1300年には人口6-8万人に達したものの、その後14-15世紀には人口減少が見られたのであり、中世をつうじて大きく変動していたことが明らかにされたことこそが重要なのである。」
- 回答プロセス
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《中世ヨーロッパの風景》(http://www.ku-rpg.org/column/population.html 京都大学RPG研究会)
参考文献あり。『人口と歴史』(前掲資料)
『農民のヨーロッパ』(ヴェルナー・レーゼナー著 藤田幸一郎訳 平凡社 1995)
p177-「第八章 近世の人口発展、入植とヨーロッパの農業地帯」参考文献あり(欧文)。中世についてはなし。
《ウィキペディア》(https://ja.wikipedia.org/wiki/ ウィキメディア財団)の「歴史上の推定都市人口」の項目に「主要都市の推定人口変遷」あり。出典あり。
「Why the west rules-for now」(Ian Morris Profile Books 2010)(青山学院大学図書館ほか所蔵)
『人類5万年文明の興亡 なぜ西洋が世界を支配しているのか 上・下』(前掲資料)
「World Cities:-3000 to 2000」(George Modelski FAROS 2000, 2003)
「Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census」(Tertius Chandler Edwin Mellen Press, c1987)(桜美林大学図書館ほか所蔵)
「La Population des Villes Europeennes, 800-1850: Banque de donnees et analyse sommaire des resultats」(Paul Bairoch, Jean Batou and Pierre Chevre Droz 1988)(川村学園女子大学図書館ほか所蔵)
《国会図書館リサーチ・ナビ》(http://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/ 国会図書館)を〈人口〉で調べる。
自館目録を〈ヨーロッパ & 人口〉で検索する。
ウェブサイトの最終アクセス日は2016年6月22日。
- 事前調査事項
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「The New Penguin Atlas of Medieval History」
中世の人口がおおよそ(地図上に人口ごとのアイコン)示されている。
- NDC
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- 人口.土地.資源 (334 9版)
- 参考資料
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- 『図説都市の世界史 2 中世』(レオナルド・ベネーヴォロ著 佐野敬彦訳 相模書房 1983)
- 『環境と文明 環境経済論への道』(湯浅赳男著 新評論 1993) , ISBN 4-7948-0186-6
- 『人口の世界史』(マッシモ・リヴィ-バッチ著 東洋経済新報社 2014) , ISBN 978-4-492-37116-9
- 『続 人口でみる世界』(大友篤著 古今書院 2006) , ISBN 4-7722-4079-9
- 『人口と歴史』(E.A.リグリィ著 速水融訳 筑摩書房 1982) , ISBN 4-480-01275-3
- 『世界の人口』(河野稠果著 東京大学出版会 2000) , ISBN 4-13-052016-4
- 『ヨーロッパ文化 その形成と空間構造』(T.G.ジョーダン著 大明堂 1989) , ISBN 4-470-43027-7
- 『新「人口論」』(ジョエル・E・コーエン著 農文協 1998) , ISBN 4-540-97056-9
- キーワード
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- 人口-歴史-中世
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000204130