レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/10/28
- 登録日時
- 2012/03/31 02:00
- 更新日時
- 2012/03/31 02:00
- 管理番号
- 千県東-2011-0001
- 質問
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解決
銚子に宮内君浦という人物がいたが、その人が作った漢詩について知りたい。それぞれが以下の初句で始まる3首である。
蚪拾苔採傷喧年
青々草満曝鰮場
睨餒妻悲蠣星秋
- 回答
-
宮内君浦(みやうちきみほ/くんほ)が銚子の人物ということから千葉県関係資料を中心に調査しましたが、質問中に示された初句から始まる漢詩は見つかりませんでした。なお、宮内君浦については参考資料の欄にあげた資料(1)-(10)に記述されており、特に資料(4)『千葉県海上郡誌』には君浦作の漢詩が多数掲載されています。
- 回答プロセス
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■銚子の人物ということから、千葉県関係のデータベースを調べた。
千葉県立図書館ホームページ内のデータベース「東総地域人名索引検索」で「宮内君浦」を人名検索して、該当した1件から出典資料(1)『銚子市史』p851-852を参照した。以下、その内容を抄出する。
本姓は吉川、名は嘉雄、字は大節、主水と称した。君浦はその号である。宮内嘉長の後を継ぐ。君浦は常陸の宮本水雲に学び、のち江戸に出て塩谷宕陰・藤森天山等について漢字詩文を研鑽した。著書に『古事記伝抄十二巻』『神代三字史』『斗七録』『守学斎詩文稿』などがある。
また、同データベースで君浦の本名や関係者名を人名検索したところ、「宮内嘉長」「宮本茶村(水雲)」「塩谷宕陰」「藤森天山」は該当したが、君浦の本名は該当がなかった。なお、宮内嘉長については、銚子新生町神明宮の神主で、平田篤胤の門人と説明されている。
さらに、同ホームページ内のデータベース「千葉県歴史関係雑誌記事索引検索」で「宮内君浦」をキーワード検索して、『利根川文化研究』通巻32号収録の記事(2)小足武司「東総屈指の私塾を開いた人・宮内君浦(流域に生きる人々)」を見つけた。以下、その内容を抄出する。
鹿島神宮の神官・吉川氏から養子として宮内家を継いだのが嘉確(ヨシカタ)で、字は大節、主水と称した。君浦はその号である。嘉確は新生神明宮、銚港神社、渡海神社、川口明神の神主を務めたほか、新生村の名主として郷村経営にあたった。漢学、詩文、国学、歴史に深い学識を蔵しており、その著書には「古事記伝抄」「神代三字史」「斗七録」「守学斎詩文稿」があり、「銚子港沿革調」も著書の1つと考えられている。
なお、インターネット情報源の詳細は次のとおりである。
「東総地域人名索引検索」千葉県立図書館
(http://ref-ap.library.pref.chiba.lg.jp/jinmei/jinmei_search.php?q=170815289)
「千葉県歴史関係雑誌記事索引」千葉県立図書館
(http://ref-ap.library.pref.chiba.lg.jp/mokuji/mokuji_search.php?q=138581115)
■同じく、銚子の人物ということで千葉県関係資料を調べた。
(3)『千葉県十二郡誌人名索引(稿)1・2・3』
「宮内喜雄(ヨシオ)」(本書3のp64)を引くと、「宮内嘉確(カカク)」「宮内君浦(クンホ)」(本書3のp63)を参照せよと指示があった。両者には下記のような説明があり、互いを参照するよう指示されていた。出典資料の(4)『千葉県海上郡誌』を参照したところ、「銚子竹枝詞」等、宮内君浦作の漢詩15点が載っていたが、質問中に示された初句は見つからなかった。
「宮内嘉確」:銚子の人で、詩文国学に通じ、「古事記伝抄」「神代三字史」等の著作がある。『千葉県海上郡誌』第16章「墓碑及び鐘銘」第1節「墓碑」(p1324)。
「宮内君浦」:銚子出身の幕末明治の国学者で、「銚子竹枝詞」の漢詩を残している。『千葉県海上郡誌』第17章「詩歌」第2節「漢詩」(p1356、1358、1361-1363、1366-1368)。
ここまでに出てきた以下のキーワードを、県立図書館OPAC及び『千葉県郷土資料総合目録 第1集』(千葉県公共図書館協会編 千葉県立中央図書館 1973)、『同 索引編』(1978)、『同 第2集』(1984)で検索してみた。
「宮内君浦」:『千葉県銚子港沿革誌1』『同2』(宮内君浦著 星野定助写 1892)が該当した。しかし、表題が「千葉県銚子港沿革誌」となっているだけで、内容は下記の「銚子港沿革調」と同じようである。
「宮内嘉確」「宮内嘉雄」:該当なし。
「神代三字史」「斗七録」「守学斎詩文稿」:該当なし。
「古事記伝抄」:『日本の思想15 本居宣長集』(本居宣長著 筑摩書房 1969)の中の一編として「古事記伝(抄)」が収録されている。しかし、これは本居宣長の著作で、宮内君浦とは無関係のようである。
「銚子港沿革調」:(5)『銚子の古文書 第8集 銚子港沿革調』が該当した。本書p2-3「解題」で原本の著者として宮内君浦が紹介されているが、漢詩は見当たらなかった。
その他、以下の千葉県関係資料も調べたが、漢詩について有用な情報は得られなかった。
(6)『千葉県誌 巻下』は、第3章「各種の人物」第3節「下総海上郡」に「宮内嘉雄」(p656)の項目がある。
(7)『東国の社会と文化』には「宮内主水」(p425-426)の項目がある。
『銚子の歴史と伝説 続』(銚子市郷土史談会企画・編集 秀英社 2009)には、松井簡治の父親として宮内嘉確(君浦)に関する記述が見られる(p93)。
『千葉大百科事典』(千葉日報社編集 千葉日報社 1982)は、宮内嘉長の項目だけで、宮内君浦の項目はなかった。
■漢詩ということで以下の資料を調べたが、有用な情報は得られなかった。
『日本漢文学大事典』(近藤春雄著 明治書院 1985)、『千葉県立中央図書館所蔵漢籍目録』(千葉県立中央図書館編集 千葉県立中央図書館 1986)、『東瀛詩選本文と総索引 本文編』『同 索引編 上・中・下』(高橋要編 勉誠出版 2007)、『漢文學者總覽 改訂増補』(長澤規矩也監修 汲古書院 2011)
■その他、以下の参考図書を調べたが、宮内君浦に関して、上記以上のさらなる情報を得ることはできなかった。
(8)「ミヤウチヨシオ 宮内嘉雄」の項目『日本人名大事典6』p113、(9)「みやうちよしお 宮内嘉雄」の項目『講談社日本人名大辞典』p1849、『国書人名辞典 第4巻』(市古貞次[ほか]編 岩波書店 1998)、『古典籍総合目録 国書総目録続編 第3巻 書名索引・著者名索引』(国文学研究資料館編 岩波書店 1990)、『神道人物研究文献目録』(国学院大学日本文化研究所編 弘文堂 2000)、(10)「宮内嘉雄」『国学者伝記集成 下』p331
(インターネットの最終アクセス:2012年3月1日)
- 事前調査事項
- NDC
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- 漢詩文.日本漢文学 (919 9版)
- 参考資料
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- (1)『銚子市史』(島田隆編纂 島田隆 1956) (2100625448)
- (2)小足武司「東総屈指の私塾を開いた人・宮内君浦(流域に生きる人々)」(『利根川文化研究』通巻32号 2008.12)p30-36 (2500494131)
- (3)『千葉県十二郡誌人名索引(稿)1・2・3』(千葉県立中央図書館編集 [1986]) (2101311155)
- (4)『千葉県海上郡誌』(千葉県海上郡教育会編纂 千秋社 1990) (2101392298)
- (5)『銚子の古文書 第8集 銚子港沿革調』(銚子市公正図書館編集 銚子市公正図書館 2002) (2101510650)
- (6)『千葉県誌 巻下』(千秋社 1984 県別郷土歴史叢書) (2102053716)
- (7)『東国の社会と文化』(小笠原長和編 梓出版社 1985) (2100753706)
- (8)『日本人名大事典6』(平凡社 1979) (2100526940)
- (9)『講談社日本人名大辞典』(上田正昭[ほか]監修 講談社 2001) (2101418189)
-
(10)『国学者伝記集成 下 復刻』(大川茂雄・南茂樹編 東出版 1997)
(2101147783
)
- キーワード
-
- 漢詩
- 千葉県-銚子市
- 宮内 君浦(みやうち きみほ/くんほ)
- 宮内 嘉確(みやうち よしかた/かかく)
- 宮内 嘉雄(みやうち よしお)
- 宮内 喜雄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000104573